思い出の旅 船旅(クルージング)4
4回目の船旅は、1999年にカリブ海です。
今度は、飛行機の都合で、ニューヨークに1泊することになりました。
NYの空港は、毎回、ジョンFケネディ空港です。
昼食は、大学の学食です。外国の大学の学食は、皆初めてです。キョロキョロしながら、構内に入り、学生さんたちの間にはぃって、食事をしました。
食事が終わって、ホテルにチェックインの予定でしたが、私は、どうしても行きたいところがあるので、他の方たちと分かれて、単独行動をとりました。
行きたい所は、5番街のティファニーです。私が、中学生の時に、オードリー・ヘップパーンの「ティファニーで朝食を」という映画がヒットしたことがあります。
中学生だったので、映画を見に行くことはありませんでしたが、映画のポスターを、毎日、通学中にみていて、彼女にあこがれていました。
ニューヨークに行くことがあったら、是非、ティファニーに行こうと、心の中できめていましたが、前回も前々回も、時間的に都合がつかなくて行けませんでした。
一人で、5番街を歩いて、ティファニーの前に来たときは、胸が一杯になりました。
30年前の夢がかない、嬉しくて涙が止りませんでした。1時間ほど店の前に立っていると、不審者のように見られたので、早々にホテルに帰りました。
夜に、卒業生が訪ねてきて、食事に行きました。ホテル近くのイタリア料理店です。
大ヒットした「ウエストサイド物語」というミュージカル映画がありましたが、その映画に出て来たような町並みにあるイタリア料理店でした。
私たちが、入った後に、2人の若いカップルがきて、頼んだのが大きなピザでした。
2人で食べることが出来るのかと心配になりましたが、よく食べること、またたくまに無くなっていたので、ビックリしました。
卒業生と1年ぶりに話しながら(クルージングのたびにNYに寄るので、連絡して会っていました)厨房の話になり、厨房では、ヒスパニック(南米の人)が多いので、英語よりスペイン語を先に覚えたとのことでした。
元気で、頑張っているので安心しました。
NYからマイアミへ、前回と同じ船に乗船、出発進行と、一路カリブ海に向かいました。
ドミニカ共和国のサントドミンゴに上陸して、市内観光、カリブ海随一の近代都市ですが、植民地時代の面影が残っていて中世のヨーロッパのような美しい町並みが綺麗でした。
ハイチ共和国のポルトープランスに上陸し、市内観光しましたが、貧しい国という印象が強かったです。この国は、フランスの植民地だったので、古い建物が残っていました。
カリブ海を北上し、バハマ国のナッソーに行く予定でしたが、ハリケーンに邪魔をされて、行けませんでした。
ハリケーンのすごいこと、船が右に左にゆれて、ベッドに寝ても、体が右、左に動いて、沈没したらどうしょうと、とても恐い経験をしました。
食事にいくのに、エレベーターの中は、酔って、吐いたあとがあり、臭くて、気分が悪くなりました。
ハリケーンが、西の方に行ったので、無事、マイアミに到着しました。ハリケーンのために、予定が狂って、その夜は、マイアミに泊まりました。
明くる日、NYへ、1週間食事が洋物ばかりだったので、NYで「松花堂弁当」を食べたときは、やっぱり、日本食が一番おいしいと、皆でワイワイおしゃべりしながら、食べました。
日本人だなあ、「早く日本に帰りたい」と思わずつぶやきました。
そうそう
もちろん、自由の女神も見ましたよ!