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想い出の旅 大阪・奈良

大阪東洋陶器美術館に安宅コレクションを見に行きました。

この美術館は、その名の通り、東洋の陶磁器を収蔵・展示するとともに研究拠点としても活動する美術館である。高麗・朝鮮時代の朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に約6000点を収蔵。国宝2点、国の重要文化財13点を含む、貴重なコレクションを形成している。

その収蔵品郡の中核をなすのが、総合商社・旧安宅コレクションである。

1904年に創業した同社は、戦中・戦後には10大総合商社の一角を担った大企業だったが、1975年、経営危機に陥り、1977年、伊藤忠商事に吸収合併された。

その後、同社が収集した965点に及ぶ東洋陶磁の行方が、大きな関心事となった。

後漢から明代にかけての中国陶磁144点、高麗・朝鮮陶磁793点などからなる膨大なコレクションは、高い文化遺産的価値を持つものであり、オークションなどにかけられて散逸することは望ましくないとしてその動向は国会でも論議の対象となった。

ついには文化庁からも管理責任者である住友銀行に対して、安宅コレクションの処分については、分散、あるいは海外流出することのないようにとの異例の要望がなされ、1980年1月、住友グループ21社は寄付金を募り、安宅コレクションの東洋陶磁を一括して大阪市へ寄贈する方針を固めた。大阪市はこれを受けて、コレクションを末永く保存し、広く公開するため、専門の美術館を建設する計画を発表。かくして1982年11月、

世界でも数少ない東洋陶磁の専門美術館が誕生し、安宅コレクションは、散逸の危機を

免れたのである。

第二次世界大戦後、混乱の余波を受け、日本では古美術品が激しく移動。戦前の名だたるコレクションが散逸し、文化的損失が大きく叫ばれてもいる。その中で、住友グループの寄贈によって、文化遺産が守られたことを賞賛する声は高い。

その後、同美術館には寄贈が相次いだ。

 

立原正秋の「春の鐘」を読んで、陶磁器のことはあまりわからなかったのですが、大阪の東洋陶器美術館へ、白磁青磁の陶磁器の美しさにはビックリしました。

私は本が好きなので、読んで感激するとその場所へ行きたくなり、実行する性格です。その当時は立原正秋に傾倒していたので、大阪に行き、その後、奈良に行きました。奈良では、秋篠寺・法隆寺、唐招提寺などを見て回りました。

特に唐招提寺では、主人公がこの寺を見て、自分を原点を再確認する場面に感動をして、唐招提寺に行きましたが、私は、本の主人公のようには,感動がなく、やっぱり、本と私は違うと、自分自身に失望をしたことを思い出しました。

秋篠寺の弥勒菩薩像の優美さに感動しました。

法隆寺では「カキ食えば 鐘がなるなり 法隆寺」を口ずさみながら境内を歩きました。

大阪から奈良へ、奈良は日本の古代文化の地です。

  あおによし

  奈良の都は

  咲く花の

  におうがごとく

  いま さかりなり

   を思い出しながら、歩いたのを思い出します。