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日本における自然災害の歴史 4

講和会議の場で、戦勝国のイギリスやフランスは、自国の経済再建のため、敗戦国ドイツに対して莫大な賠償金を要求しました。対して、アメリカのウイルソン大統領は、世界平和のために敗戦国に過酷な賠償責任を課すべきではないと考えていました。そんな中、ウイルソンスペイン風邪に倒れてしまい、会議に参加できなくなります。この間、議論は大きく進んでしまい、結果的に、ドイツは多大な賠償金を負担することになりました。やがて経済危機に陥ったドイツでは、ヒトラー率いるナチスが勢力を伸ばし、ファシズム体制を樹立。他国への侵略を契機に、第二次世界大戦が勃発するわけです。このように、パンデミックの後の社会は、多くの死を経験していることもあり、人心が荒廃し、極端な方向に走りやすい。これからの世界は「危ない橋」を渡るような不確実性の高い状況、すなわち、良い方向にも悪い方向にも変わり得る「せめぎ合いの時代」が続くと予想されます。その意味でも、これからの10年は、人類の意志と行動が試される「勝負の10年」といっても過言ではありません。それでは、このコロナ禍を乗り越えるために、何が必要なのでしょうか。今回のコロナ禍で、今日のグローバル社会には、「他人事」が存在しないということが分かったと思います。感染症の場合、一部の地域に、医療の空白が生じれば、その分、抑制が難航します。世界各国が、自国優先主義だけに傾かず、コロナ禍という共通の課題に対して連帯できるかどうかが、パンデミックを克服する上での鍵になります。

それと人間は価値観が揺らぐと、どうしても極端な考えに傾く。集団の運用や指導も荒くなり、丁寧な説明や対話を省いて、物事を強引に進めようとします。

そこに陥らず、バランスを保って進むためには、平和と人権に対する「尊敬心」と、他者を思いやる「共感性」が社会の根底にあることが求められます。

共感といっても、自分に近いものだけが愛しいというのであれば、どんどん利己的になり、社会は弱肉強食に傾いてしまいます。ここでいう共感とは、遠くにいる他者であっても思いをはせる想像力、仏教でいうところの「慈悲」、儒教の「仁愛」の思想に近いでしょうか。とはいえ、現代の私たちが互いに共感性を示し合うことは簡単ではないかもしれない。だからこそ、「こんなことをしたら、あの人がかわいそう」という相手の側に立つ思いを持つことを互いに目指したい。そして、人間にとって快適な幸せは、どのような条件で成り立つのかという視点で、現実的・合理的な対処を粘り強く続ける。このバランスが大切ではないでしょうか。戦後史を概観すると、課題は山積みするものの、戦争自体は徐々に減ってきました。人類はぶれながらも、世界平和を目指して漸進してきたとも捉えられます。全面的に安心することはできませんが、私は、人類の賢明な選択を信じたいと思います。