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鍋 台所の道具

私たちヒトが暮らしていく上で必然的に生まれた鍋ーーーちょっと、ひもといてみましょう。

人類は火を獲得したことによって獣から身を守れるようになり、火を調理に使うことによって栄養を摂取しやすくなったのは数百万~数十万年前といわれています。

獲物を焚火で焼くのに骨に刺したり、平らな石にのせて加熱。火を沸かす道具が必要になり、発明したのが土製の鍋でした。木のマタで作った支えに吊すため、藤蔓などを付けられるように穴を開け、蔓が焦げないよう工夫もされました。我が国に限ると、まず浮かぶのが縄文式土器です。祭祀にに使われたと教わりましたが、今時の情報では日常の煮炊きに使われた跡があるものも出土されているようです。縄文式以降、面がデコボコしていない弥生式土器のようになるのは、何度でも使用に耐えられ、洗えることを優先させたからかもしれません。

やがて、青銅器、鉄器が大陸から渡来し、中でも鉄製の鍋は輸入品で大変貴重でした。一般の人も使える国産品が普及したのはずっと後の鎌倉時代。蔓も丈夫な鉄製になりました。炉の時代の形は半球型だったのが、竈が発明されると、置くのに適する平鍋や片手鍋も生まれていきます。

鉄鍋はなくてはならないものとして大切に扱われましたがサビ易いうえ、毎日使え続ければ穴が開いたりヒビが入ります(慣用句にある「割れ鍋に綴じ蓋」の割れ鍋は、そういう鍋をさしています。)でも修理してくれる鋳掛屋さんがどの町にもあり、どの家でも長年にわたって使い続けることができました。修理が効かないほどになったら引き取ってもらえ、鋳物屋、やがて鋳物工場で溶かして型に流し込んで再び鍋になるのでした。ところが日本中の家庭にあった鉄鍋があるとき、姿を消してしまいます。太平洋戦争の戦局悪化により昭和16年国家総動員法・金属回収令が出され、家々は鍋など鉄でできたものすべて(タンスの取っ手まd!お寺は梵鐘・仏具まで!)お国のために供出。銃後の庶民はすぐペコペコにへこんでしまう薄手のアルマイト製鍋を大切に使ったのでした。釉をかけない素焼きの土鍋も出回ったそうですが、もろかったと聞きました。戦争が終わって料理を作れる時代が戻ってきました。経済白書が「もはや戦後ではない」と記した次には高度経済成長期が到来し、新聞の家庭欄、婦人雑誌、テレビがさまざまな料理とともに作るに必要な鍋を見せつけるものですから(!?)それらの料理を作って家族に食べさせたい、鍋を自分で買わないまでも贈答に鍋がよく使われた時代も経て・・・台所の棚を見れば、年に数回でも活躍しているならまだしも、数年来、登場することなく断捨離の矢面に立っている鍋がお宅でも一つや二つでないのでは?

今や、電子レンジや、コンビニ・スーパーのおかげで鍋を持たなくても温かい食事にありつけます。