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託された「命のバトン」 2

なぜ人は死ぬのか

人間の死は、臨床的に、呼吸停止、心臓停止、脳機能停止(瞳孔散大と対光反射の消失)の三徴候を判定基準としていますが、そもそも私たちは、なぜ死ななければならないのでしょうか。

私たちの身体は、37兆2000億個ともいわれる細胞で構成されていますが、その一つ一つの細胞に「死」の仕組みが備わっているからです。実は、このプログラムがないと、私たちは生き永らえることができません。細胞は、さまざまなストレスにさらされ、傷つくことがあります。それを放置してしまえば、ウイルスや細菌などの外敵がそこから侵入し、身体全体に悪影響を及ぼしてしまうので、傷ついた細胞は死んで、新たに生まれた細胞と入れ替わっています。

事実、こうした働きによって、胃腸の内壁細胞は数日、白血球は約3日、皮膚は約28日、赤血球は約120日というサイクルで、細胞が生死を繰り返しながら、私たちの身体は維持されています。ただ、それにも限界があります。細胞は分裂を繰り返すほど、遺伝子のコピーミスが起こり、がん細胞が生まれてしまうリスクが高まるからです。がん細胞も結果として私たちの身体の調和を壊してしまうことから、そうした細胞になってしまう前に、一つ一つのの細胞には、アポトーシスといって、周囲を守るために自ら死を選ぶプログラムがあることが知られています。細胞レベルで死を免れることができない以上、その細胞で構成される私たちも、死から逃れることはできません。しかし、そうした細胞の”利他的な働き”があるからこそ、私たちの身体の「生」は守られているのです。

 

命がけで種を残す

それは細胞レベルだけでなく、自然界にも見られます。ほとんどの生物にとっては、生きている以上、死は定められたものです。しかし、その限られた「生」の中で、生物たちは、自分たちの種を残していくために、それこそ命がけで子孫を守ろうと戦っています。例えば、サケは産卵後に死に、その体をプランクトンに食べさせて、結果として稚魚の餌にさせます。また卵を産んだら自らの内臓を出し、子どもに食べさせるクモがいることも知られています。これらは過酷な生存競争に勝ち残っていくためですが、このように自らの命をも捧げるという利他的な行動で新しい生を残していく種も存在します。一方、人間はこのような死を選択しませんが、種を守る、子孫を守るという利他的な行動があったから、ここまで生き残ることができました。そもそも人間は、子どもを未熟な状態で産み、社会の中で育てますが、そこに利他の心がなければ、新しい命を守っていくことはできません。また、狩猟生活を中心としていた縄文時代以前の日本人の平均寿命は、13~15歳だったと考えられています。その後、稲作などによる共同作業によって栄養バランスが向上したことなどが寿命を延ばす力となりましたが、そこに互いを守り、支え合う心がなければ、今日のような結果にはなりませんでした。やはり、人間においても、祖先達の心の根底に、利他の精神が脈打っていたからこそ、私たち人類の「生」は支えられてきたのです。