72歳でブログはじめました!!

72歳のおばあちゃん!ブログ挑戦中!!

時間をかけるということ

 

この一、二年、すり鉢の出番が増えました。夏は冷汁、季節を問わずおかずに和え物ほかで使用。冷汁・和え物にはゴマかクルミが付きもので、ナッツ類は香味がよいだけでなく豊富なビタミンEが体にいいといいますし、加える味噌は粒をすりつぶすことで更に風味が増し、食欲不振気味の方にもオススメです。ぜひ自分ですり鉢を使ってほしいということです。それではすり鉢と味噌の歴史からひもといてみましょう。

 

すり鉢は味噌の変遷ととものありました。中国(宋)から味噌の醸造法を日本に伝えてくれたのは覚心というお坊さんです。煮大豆+麹+塩を1年から3年かけて熟成させた舐め味噌、すなわち大徳寺納豆ふう、もしくは金山寺味噌ふうの大豆の形があるものだったところにすり鉢という道具が現れたことで調味料となる飛躍をします。調味料としての雄なる使用法が味噌汁でした。具(身近にアル野菜、ときには魚介・肉)を煮ている間にすり鉢で味味噌をつぶし、汁に溶かせば美味な汁物を食べられる簡易さに武家、やがては庶民の食事の定番に。こうして味噌作りは、仕込んでから四季の気温変化を利用しつつ年月をかけることで塩気の角がとれること、旨味のためには、じっくり時間をかけなければならないもの、が常識といいますか外せないことでした。

それが一部転換されるのは明治期、麹の働きを温度管理で調節し、樽で寝かせる期間を数ヶ月に短縮する速醸法が考案されます。日清日露の戦争により兵隊さん用に味噌の増産が急務とされたからでした。同時期、原料豆を臼等で砕く工程が機械化もされ、漉し味噌・すり味噌が販売されたことがすり鉢の出番が減るきっかけとなります。その後、醸造期間は更に短縮され第二次世界大戦中には一月以下にも。味噌は配給となり、不足時に旨味がどうのこうのと言っていられない時代だったのです。

 

戦後、大豆や麹(米・麦)を調達できる農家は昔ながらのやり方で味噌造りを続けていましたが、一般に販売される味噌は速醸・漉し味噌が津痔来ました。経済が右肩上がりに成長すると欧米料理の魅力が私たちを魅了し、家庭でも作られるようになりました。和食の割合が減るに従い、速醸のお味噌しか知らない世代には味噌汁イコール美味しくないものという思いこみも生まれたように思います。加えて、漉し味噌は味噌こしという道具を使わないと溶けにくいので面倒がる風潮も。

 

作今、和食のよさがようやく見直され、味噌が体によいこと、熟成に時間をかけた味噌は更に風味も体によいことがしられてきました。すり鉢料理にも時間がかかります。やってみると分かると思いますが、すりこぎを回す円周運動は無の境地。お寺で台所仕事が重要とされるのもうなずけます。家にいる時間が多くなったり、心が落ち着かないことが増し気味のこの時節、無心になれるすり鉢料理はいいものです。むしろ、時節に関係なく、楽しい作業なのです。