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浅見光彦シリーズ 化生の海

北海道・余市に住んでいた被害者が、松前に行くと、家族に伝えたにも関わらず、石川県の加賀市で遺体となって発見されたから、5年が過ぎたが、事件は未解決のままであった。浅見光彦が事件を解決するために立ち上がったのが、この本である。

 

この本の中で、重要なのが、「北前船」である。

北前船は、江戸時代中期(18世紀)~明治時代(30年代)にかけて、日本海海岸で活躍した。大阪と北海道を結んだ経済動脈である。

主に、買積みの北国廻船の名称である。

買積み廻船とは、商品を預かって運送するのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで、利益を上げる廻船のことを指す。

当初は、近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行なうようになる。

北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海から大阪へ向かっていた。

主な寄港地

  北海道  小樽・余市

  山形県  酒田

  石川県  橋立

  山口県  下関

  瀬戸内海を航行して、大阪へ

 

被害者が、石川県加賀市で遺体が発見されたので、浅見が加賀市に行き、事件の全貌がわかるのである。

 

石川県 加賀市橋立

 北前船で巨万の財を築いた船主が多く「日本一の富豪村」といわれのが、橋立と、

 瀬越の2つの集落です。

 近くの山中温泉には北前船の船乗衆も湯治に訪れ、彼らが航海中に覚えた民謡

 「松前追分」を湯の中で歌うのを聞いた浴衣娘(ユカタベ)が真似たのが

 山中節の起源だという節もある。

 廻船問屋の屋敷が「北前船の里資料館」として公開されている。

 

福岡県 津屋崎千軒

 江戸時代から海上交易と塩田で栄え、家が千軒もひしめくように建っていたことから

 「津屋崎千軒」と呼ばれていた。昔の面影を残した趣のある町並みが魅力である。

  この地で、被害者が幼い頃より持っていた「卯の字の人形」の新たな情報を得て

  九州へ人形の制作者を尋ねることにより、だれから、人形をもらったのかがわかっ

  たのである。

 

山口県 下関市彦島

 被害者が、中学生の頃に、作文を書いて、入賞した、その作文の中で、誰かにおんぶ

 されて、長い石段をみた記憶があると書いてあり、その石段が下関市彦島・福浦町

 の「金比羅神社」であることがわかった。この石段は271の階段である。

 ここで、北前船の船主がわかり、再度加賀市に行くのである。

 

石川県 山中温泉

 ここで、被害者の母が、隠遁生活をしていることを突き止めることが、できて、

 なぜ、殺されねばならなかったのかがわかるのである。

 

被害者は、娘の大学入学の資金を求めて、幼い頃に捨てられた母を尋ねて行ったのであるが、諸々の事情により、彼が来ることをよしとしない人たちにより、殺されたのである。