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浅見光彦シリーズ 喪われた道

浅見光彦が虚無僧の殺人事件に遭遇し、普化宗、金山・鎌倉街道大久保長安埋蔵金等が軸となる物語です。

 ・普化宗 禅宗の一派で、9世紀中国で臨済義玄と交流のあった普化を始祖とする

      虚無僧はその教義に従って修行する者の姿あるが、明治4年太政官

      告により廃宗になった。廃仏き釈の最大の犠牲となった。

      虚無僧が普化宗の象徴ようなものなので、虚無僧を一掃することは、

      普化宗そのものを瓦解させることになる。

  虚無僧とは、室町時代普化宗の僧朗庵が宗祖普化の風を学んで薦の上に座して

        尺八を吹いたから、薦僧と呼んだという。また一説に、楠木正茂の

        後胤正勝が僧となり、虚無と号したからともいう。

        普化宗の有髪の僧。深編笠をかぶり、絹布の小袖に丸ぐけの帯をし

        め、首に袈裟をかけ、刀を帯し、尺八を吹き、銭を乞うて諸国を

        行脚した。

                            普化僧虚無僧の多くは、幕府の隠密の隠れ蓑であった故に、明治新政

                            府にとっては目の敵だった。

                           全国に200箇所ほどあったという虚無僧寺は諸国と江戸を結び街道の拠                            点にあった。

 ・金山     土肥の金山、佐渡の金山、黒川金山

 ・大久保長安  戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。

        甲斐武田氏、ついで徳川氏の家臣、江戸幕府勘定奉行、老中

        となった。事件として、背任横領の疑惑がかけられていたらし

        い。金を大量に隠匿、私物化したといわれている。そのため

        一族七人が死罪となっている。隠匿した金が、埋蔵金として眠って

        いるという説もある。

鎌倉街道 各地より、鎌倉に至る道路のこと。中世政治の中心であった鎌倉と関東

      諸国や、信濃、越後、陸奥を結ぶ主要道路

埋蔵金  大久保長安が隠したという埋蔵金江戸城明け渡しの際の埋蔵金

      第2次世界大戦の後、日本軍が隠したと言われる埋蔵金(この物語は

      伊豆の金山の後に隠したと言われる埋蔵金の場所を巡っての事件)

 

浅見光彦が遭遇する虚無僧の殺人事件の現場が、甲州金山から江戸に抜ける道があ

 ったという甲州裏街道で、現在の青梅街道の前身は甲州裏街道に当たる。

 青梅には昔から埋蔵物伝説がある。この甲州裏街道が、鎌倉街道の一つといわれて

 いる。

伊豆半島には、土肥の金山があったが、今は、土肥金山公園となり、広大な敷地と、

 それ以上に広大な地下の坑道をそのまま観光資源として利用している。

 この金山の特徴は、金と温泉が一緒に出るという点である。

 戦前の金山の労働者は、朝鮮や中国から連れてこられた人たちを劣悪な環境で働かせ

 ていた、その金山で監督官の見習いをしていたのが、事件の被害者である。

・この被害者は、尺八の名手であり、趣味として尺八を吹いていた。

 伊豆にある”旭滝”をイメージして作られた曲が「滝落之曲」で、この曲だけは吹かな

 いという、加害者の言葉を聞いて、事件の解決の光が見えてくるのである。

 

ここから引用

 天城湯ヶ島の観光課員が言っていたとおり、ここからの眺望はすばらしい。

 眼下に今通ってきたばかりの西伊豆海岸。駿河湾の向こうは御前崎から清水ー富士

 付近にいたる海岸線。そして八合目あたりから上を雲に隠した富士山が望める。

 頭を巡らすと、天城山系の山々や箱根の山々が、陽炎のような淡い雲の棚引く

 下に、眠たげに連なっている。吹く風はかすかに霧の香りと涼しさを含んで、

 頬を心地好く撫でてゆく。(日本はいいなあー)と浅見は思った。

 小学生のころ、書き初めに書いた「美しい日本」の文字を思い出した。

 この国や、この国に住む人々が、しみじみといとおしく思えた。