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浅見光彦シリーズ 後鳥羽伝説殺人事件

内田康夫の作品で初めて浅見光彦が登場するこの本では、後鳥羽上皇隠岐の島に流される場所をめぐっての伝説が、テーマになっています。

 

8年前、旅行の終わリに、島根県の仁田町で、この伝説の場所を旅する女子大生2人(1人は光彦の妹)で、民宿の裏山が土砂崩れを起こして生き埋めになり、光彦の妹は死亡、もう1人は記憶喪失になって、旅行の事は忘れてしまうが、再度、後鳥羽上皇の伝説の場所を旅し、殺人事件の被害者になる。

この殺人事件の解決に、三次警察署の野上刑事が奮闘するのを、浅見が協力して事件が解決するのである。

 

後鳥羽上皇伝説は実際に広島県北東部に根強く残っており、伝説と思えないほど豊富な史跡や御物が伝えられている。

 

後鳥羽上皇とは、82代の天皇三種の神器を持たずに即位し文武両道で新古今和歌集の編纂でも知られている。

源氏から政権を取り戻すことを夢見て、承久の乱を起こした天皇です。

鎌倉幕府第3代源実朝が殺されたあと、1221年北条義時追討の院宣を出し、兵を招集したが思うように兵が集まらず、幕府の大軍に宇治川の合戦で敗れて、島根県隠岐の島に流され、騒然たる人生を送り亡くなった。

 

後鳥羽上皇の政治理念は「朝廷主導の政治を復活させる」であった。

 

幕府に敗北したあと、後鳥羽上皇は  隠岐の島

          順徳上皇は   佐渡

          土御門上皇は  土佐

          にいずれも配流された。

 

後鳥羽上皇の置文

 「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災い

 をなすだろう。我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものであ

 である。もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」

 

 上皇は、隠岐の中ノ島にある隠岐神社の祀られている。

 

 上皇百人一首の和歌

   人もをし 人も恨めし あじきなく 世を思う故に もの思う身は

 

 

仁田町で、山崩れにあった時に、同じ民宿に泊まっていた3人の男子大学生が、事件に絡んでいた可能性が出てきたが、3人とも大阪で大学は別で、下宿が同じだったことを突き止めたが、1人は、高校の歴史の教員、1人は、自動車部品メーカーの副社長、

もう1人が広島県警のエリート警部と判明した。

教員は副社長が自殺に見せかけて殺し、副社長は、警部が殺した。

その前にもはじめの加害者と汽車で一緒になったサラリーマンも警部が殺している。

この事件の事実を、三次警察署の捜査員の前で、浅見がレクチャーする場面がとても、面白かったです。

 

最後に、浅見が野上刑事に事件の解決したことについて伝えた事を、

 本からの引用です

  「後鳥羽上皇の怨念かもしれない。ここの人たちが共通して持っている、一種の敬虔な生き方に何度も接したような気がするのです。一見、明るくて素朴なようだけれど、心のどこかに絶えず何かに対する恐れをを秘めながら、慎ましく生活している。至る所に顔をのぞかせている古墳群や無数の神話、伝説と無縁ではないと思うのです。子供の頃からそういう環境に育ち、この世には犯してはいけない何かが存在していることを膚で感じているような気がします。」