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中国料理の歴史 2

漢時代

秦の始皇帝による天下統一の野望が崩れると、漢(前漢後漢)の時代になります。紀元前2世紀の漢の武帝の頃には、西域に赴いた張騫が、パンコムギ・ゴマ・コショウ・キュウリ・ネギ・ニンニク・ナス・ザクロ・ブドウなどを持ち帰ります。もともと、中国北部は、オオムギ・アワ・キビなどの粉食でしたが、この頃に西域よりてんがい(石臼)が伝えられ、コムギの製粉や粉食の技術が導入されて、北部では饅頭や包子を作り始めます。そして、長江を境にして、江南のコメ、江北のムギが、主食の座を占めるようになります。湖南省博物館の馬王堆漢墓遺跡の出土品から、前漢の頃の食べ物や料理法を知ることができます。これまで王侯や貴族が所有していた箸は、前漢の頃には、食具として一般に普及し始めます。「礼記」には、古代の料理法、箸の使い方が記され、料理の味を整える「塩梅」の語が見られます。古代食が完成した時代です。

100年頃 劉凞「釈名」 胡餅、湯餅

 

 

三国・南北朝時代

三国とは、3世紀の初めに後漢が滅び、魏・呉・蜀の三国が勃興した時代をいいます。

邪馬台国卑弥呼朝貢していたのが、三国の中の魏です。

各地の豪族や貴族が群雄割拠して闘争を繰り返し、北方の異民族が華北に侵入します。そして、華南に逃れた漢人により、新しい貴族文化が芽生え、宴席が盛んになります。

6世紀の中国古代の農書、後魏の「斉民要術」には、穀物・肉・魚などの料理法や、焼く・炙る・蒸す・煎る・煮る・炊く・発酵など、今日の中国料理の基本的な調理法の多くが記載され、貴重な文献とされています。めん類などのコムギ粉料理の祖型も、数多く登場します。西洋では、焼くことが中心であった時代に、中国では多くの調理法が確立します。高温に耐える竃、土鍋や青銅器が用いられ、さらに、鉄器が登場し、後に鉄鍋(中華鍋)として普及します。そのために、油による加熱調理法が多彩となり、各種の「食経」(料理書)が出版されます。

この時代に水田耕作(水稲)が普及

 

随・唐時代

南北を結ぶ大運河が開通し、華北と華中の文化交流が盛んになります。さらに、国際都市となった長安を中心に、西域との往来が活発になります。水車による石臼製粉の発達により、粉食が普及します。中国北部では、胡食(西域の食べ物)の影響により、餅(コムギ粉製品の総称)を好むようになり、餃子や饅頭が点心として普及します。

唐は、中国の歴史のなかでも、最も栄えた王朝の一つです。この頃に、コムギ粉の生地をめん線状に細長く伸ばす技術が現れます。そして、めん類は、長寿めんなど、ハレの日の食べ物となり、祝い事に用いられます。また、陸羽「茶経」により、茶の知識が広まり、飲茶の風習が広がります。宮廷文化が花開いた黄金時代でもあり、中国料理の原型が確立します。日本からの遣唐使や留学僧の往来が頻繁になります。