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中国料理の歴史 3

宗時代

唐が滅びると、モンゴル族の勢力が強くなり、再び、漢民族は江南の地に逃れます。しかし、商工業の発達により、生活は一段と豊になり、中国料理が発達します。例えば、燃料の石炭やコークスが登場し、鉄鍋による高温加熱調理法が普及します。また、今日のような多種多彩なめん料理の基礎が形成されます。呉自牧の「夢梁録」には、めん食店など、都市の繁栄ぶりが活写されます。孟元老の「東京夢華録」にも、この頃の年中行事や食べ物の記録がみられます。

唐代までは跪く宴席でしたが、宋代になり、大きなテーブルを囲み、椅子に腰掛けての食事になります。身分により、料理の皿数・酒・飯の量は細かく規定されます。豆腐が一般に普及しはじめます。詩人の蘇東坡(1036~1101)は食通としても知られ、食べ物についても多くの詩を残しています。彼の創作した東坡肉は、今日もなお多くの人に好まれています。

科挙制度の確立

商工業の発達と都市の繁栄

宗磁(中国陶器の最高峰) 五大名窯

茶の専売実施、都市に茶館(茶房)

陶穀「清異録」 豆腐、包子

1088 沈括「夢渓筆談」 ごま油の利用

1128高宗が中国ハムに金華火といと名付ける

北食と南食の融合

 

元・明時代

明代になり、漢民族華北に戻ると、地方料理が発達します。サツマイモ・ジャガイモ・トウモロコシ・トウガラシ・ラッカセイなどが伝えられます。

李時珍の「本草綱目」は、1898種の動植物や鉱物を詳細に調べ、すべての食べ物を陰・陽・温・冷に分類して、調和を保つことを重視します。素材を巧みに組み合わせた料理法が発達し、中華鍋一つでできる味わう中国料理体系が大成します。食べ物の薬効を追求した本草学は、後の漢方医学の基礎となります。

後漢から元代にかけての匙食は、明代からは箸食となり、箸主匙従の今日の中国の食習慣ができあがり、匙は汁専用となります。

1266頃 林洪「山家清供」 しょうゆ

油脂を使用する調理法」

「居家必要事類全集」

1330 忽思慧「飲膳正要」

倪瓉「雲林堂飲食制度集」 蓮花茶橘花

1368 韓奕「易牙遺意」 火といの製法

1405 鄭和の南海遠征(~33)→東南アジア、インド、アフリカとの貿易

1554 北京カオヤー、南京の「金陵老便宜坊」より発売

1578 李時珍「本草綱目」 魚チー、もやし

かんしょ ベトナムより伝来(広東省

1591 高溓「遵生八せん」 しょうゆの製法

かんしょ フィリピンより伝来(福建省

景徳鎮(万暦赤絵)の繁栄