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日本の食文化 原始(縄文・弥生時代)

縄文時代ーーーー 採集、狩猟と漁労

縄文時代は今から約1万2000年前に始まり、約1万年続きました。

人々は定住地で土器を用いながら、採集、狩猟、漁労の生活を送り、原始時代としては世界でも珍しい豊かな食生活の時代でした。土器の出現は日本が世界で最も早かったといわれています。縄文時代は基本的にはどんぐりなどの木の実を主食とし、タンパク資源として鳥獣や魚介を食べていました。土器の使用により、それまでの生食や焼いて食べるだけの調理法に、新たに煮炊きが加わった。食材は、野山で採集した木の実、狩りをして捕らえられた獣の肉や海や川で捕った魚などで、食料採集を主体とする食生活を送っていたとみられます。単純な調理操作だけと考えられていたが、新たな遺跡の発掘などのより、もう少し高度な調理操作が行なわれていたことがうかがえる。

例えば、あく抜き法も普及していたと見られ、その証拠に、あくの強いとちの実やどんぐりなどを肉や脂などと混ぜて焼いたクッキーやパン状のものの痕跡が発掘されている。土器の使用は脂肪分や他の栄養分を損失することなく、何種類もの材料を混ぜて煮込み、ごった煮やスープ状の複雑な味の料理を作ることを可能にしました。また、硬い材料も煮沸で柔らかくできました。食事は手食であったが土器のスプーンが熱い汁気の料理に用いられたと思われます。

 

弥生時代  稲作の始まり

中国や朝鮮との交渉が本格化してきた縄文時代の中頃から日本各地で初歩的な畑作栽培が始まり、ヒエ、エゴマ、リョクトウなどに混じってイネの栽培も行なわれた。

我が国ではこのようにして熱帯ジャポニカに始まり、弥生時代の温帯ジャポニカの水田耕作の渡来によって米食国家になり、以来米が日本の食文化の根幹をなすようになった。水田稲作は紀元前4世紀に九州北部に伝来後速やかに日本全土に広がり、100年余りのちには東北地方の最北端に達している。水田耕作は特に気候が温暖な西日本に適し、縄文スタイルの採集生活には不向きであった沖積平野や湿潤な盆地が水田耕作には好都合であった。水田耕作は水田の構築や灌漑工事など高度な技術体系に依存し、その伝来はかなりの人数の集団の数次にわたる渡来によってなされたと思われるが、既に基礎的な農耕経験のあった縄文人の協力によって順調に普及した。

豊かな水源を利用した水田が各地で見られるようになり、米の他に麦、あわ、ひえ、きびなどの雑穀の農耕も行なわれており、これらの穀類を主食とし、採集や狩猟などで得たものを副食とする食事が一般的となる。