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日本の食の歴史 近代(明治・大正・昭和時代初期)

明治時代

(1868年)に入ると、西洋式食文化の広がりに拍車がかかり、民間レベルにも浸透していった。これは宮中の生活様式が西洋風に改められたことによるもので、国民全体の欧風化を後押ししたといえる。街にはテーブルを置く料理店が出現し、また居留地(条約などにより外国人の居住・営業を許可した一定の地域をいう。

幕末開国当時、東京・神奈川・大阪・兵庫・長崎・新潟・函館にあった)を中心にパン、ビール、肉料理、西洋野菜も見られるようになった。ときを経ずして牛鍋、あんパンなど日本人の嗜好に合わせた料理や食品が作り出されるようになる。

この頃には庶民も牛乳を飲用するようになり、それまで観賞用であったトマトも食べ始められた。また、ほうれん草や白菜などの栽培やハムやチョコレートなどの製造も始まり、コンブからグルタミン酸ナトリウム(1908年、明治41年、池田菊苗によって発見されたコンブのうま味成分。代表的なうま味物質として、さまざまな調味料や加工食品に用いられている。現在ではグルタミン生産菌による発酵法で作られている)が抽出されるなど世界に誇る発明もなされた。

 

大正時代(1912年)

雑誌に料理記事が多く掲載されるようになり、また、欧米や中国などの料理が和食化しながら取り入られていく。その代表的なものが、かつ丼やカレーライス、ラーメンなどで、今日ではすっかり定番の料理である。第一次世界大戦関東大震災を経験したこの時代に特筆すべき点は、栄養教育が始まったことと、国民全体が一様に食事をとれるようになり、ちゃぶ台を囲んで一家だんらんの時間が持てるようになったことである。

また、キャラメルやマヨネーズなども国内で作られるようになり、食材がさらに豊富になった。

 

昭和時代(1926年)初期

昭和の初め頃、庶民の食生活は安定したピークを迎え、人々は米飯に魚や野菜の旬の味を愛でながら、特にコロッケやオムレツを食べ、コーヒーやケーキも楽しみ、デパートの大食堂で家族とカレーライスを食べた。明治以来の西洋料理の導入は第二次世界大戦までは古来の日本の食生活を変えるものではなく、伝統料理に寿司、天ぷら、鰻、そばなどの大衆食を含めた、和食の範囲を膨らませたことであった。

世界恐慌第二次世界大戦などが続いたことにより、国民生活はどんどん悪化し、食材不足が深刻となる。米や食塩などの食材は配給制(生産低下、食料危機の下、主要物資を一定量ずつ国民に与えること。切符制、通帳制がとられた)となり、その量は必要量を十分に満たすものではなかったため、餓死者も多数に及んだという。