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日本の食の歴史  古代(古墳・飛鳥・奈良)

古墳時代

米は美味で栄養価が高く、貯蔵性もあり優れた食料であったが、水田の構築と維持には集約された労働力と強力な指導者が必要であった。弥生時代初期水田を中心にムラができ、多くのムラは耕地の拡大を求めて相争い、弥生時代後期には西日本の各地にムラが統合されていくつかのク二ができ、やがてこれらが統一されて、大和の国(現在の奈良県)を中心に国家が出現し、原始社会から脱皮した。ただ、米の収穫も現代の20%ほどで、農民は十分に米を食べることができず、縄文時代に引き続いて木の実、雑穀、野草

いも、豆などを主食とし、狩猟や漁労によってたんぱく資源を求めた。

中国の後漢時代の史書「巍志倭人伝」によると、三世紀の日本人はよく海に潜って魚介をとり、冬も夏も生野菜を食べ、生姜、山椒、みようがはあるが、利用を知らず、食べ物は高つきから手食し、酒が好きであると記載されている。

また、古墳時代に伝来した仏教の影響を受け、続く飛鳥時代には天武天皇によって

肉食禁止令が出された。

そして710年に奈良に都(平城京)が移され、律令制が整った奈良時代が始まる。この体制のもと、税として米を納めるしくみが確立し、以後、米は経済基板となった。

奈良時代も肉食は禁じられていたが、上流階級の間で牛乳は煮沸して飲用されており、その加工食品も食べられていた。また、食器も漆器、箸、さじなどが整い、儀式かも進むようになった。

 

*古代の乳製品と醍醐味

  牛乳を精製する過程で、酥や醍醐といった乳製品が作り出された。今でいうと、

  酥は練乳、醍醐はバターやチーズに当たるものであろう。醍醐味ということばは、

  仏教で牛などの乳を精製する過程で得られる五つの味(乳、酪、酥、熟酥、醍醐)

  のひとつで、最も美味しいとされる5番目の味を指している。これが転じ、最高の

  もの、深い味わいを醍醐味というようになった。

 

当時、栄華を極めていた唐(中国)に渡った遣唐使によって、多くの成熟した文化がもたらされた結果、わが国にも市が立ち、食品などの売買が盛んになる。

また、唐菓子と呼ばれる揚げ菓子なども伝わり、奈良時代中期には唐僧鑑真の来日により砂糖がもたらされた。しかし、こうした食生活は庶民には縁のないもので、貴族の主食は精白米でも、庶民はひえ、あわなどの雑穀を口にしていた。この状態はこのあと長く続くことになる。

 

遣唐使 

  630~894年の間に日本から唐に派遣された使節。数百人が船に分乗して2~3年がか

  りで往復し、さまざまな物品や制度、技術を持ち帰った。その後の日本の政治、学

  問、文化などに大きな影響をもたらした。

 

*鑑真(688~763)

  中国の唐代の僧。幾度もの苦難を経て、753年に来日し、唐招提寺建立する。

  鑑真は黒糖を日本にもたらしたが、これがわが国最初の砂糖の伝来といわれる。