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日本の食の歴史 現代(第二次世界大戦後)

1945年(昭和20)に第二次世界大戦終戦を迎え、わが国は焼け野原から急激な復興・成長を成し遂げたが、戦後しばらくは厳しい食料難が続き、各地で闇市が全盛した。

しかし1950年頃から徐々に食料に関する統制が撤廃され、食糧事情は改善しはじめ、学校給食も全国で実施されるようになる。米も潤沢に出回るようになったが、米の消費は昭和37年をピークとして減少に向かった。副食が充実し、タンパク質や油脂が多くなり、米に大きく栄養を依存しなくなったからである。また、米飯に代わってパンや麺類の摂取が増えた。戦後の日本はすべての面でアメリカ化を志向し、食生活も洋風化したが、それは明治以降洋食が米飯を中心とする和食の延長上にあった事態と根本的に異なり、米から離れて、日本の旧来の食文化を根幹から変えるものであった。

戦前日本の食品工業は酒、調味料と菓子くらいしかなかったが、戦後は多くの食品が工場で大量生産されるようになった。科学技術の進歩による保蔵、包装の改善、流通の効率化に加えて、家庭における冷凍冷蔵庫、電子レンジなどの台所機能の充実が、大量生産される多種類の調理済み食品や半調理食品の普及を可能にした。特に冷凍食品の伸びが著しい。また、外食も盛んになり、人々は日常的に外食を利用するようになった。スーパーマーケット、コンビニエンスストアや百貨点の食品売場では、そのまま食べられる多種類の料理が販売され、人々は家庭でそれを容器のまま食卓に並べる。これは内食、外食に対して中食と呼ばれ、庶民の食生活に定着した。便利な世になり、家庭に鍋も包丁もいらなくなった。

1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックの影響は多大で、あらゆる分野が飛躍的に発展して経済的に豊になった。そして1970年は外食元年ともいわれ、ファーミリーレストランやファーストフードなどの外食産業も出現しはじめた。さらにコールドチェーン(生鮮食品を冷凍、冷蔵、定温の状態で生産者から消費者に送り届けるしくみで、低温流通の機構のこと。それぞれ温度帯があり、扱う食品の適温により分別される)などの流通機構の発展、バイオテクノロジー(生物の機能や生物が起こす化学反応を人工的に活用する技術。遺伝子組み換えの技術などがこれに当たる)の進歩などにより、豊富な食材の生産・入手が可能になった。そして今日に到っては、私たちの食卓には多くの輸入食品が並び、文字通り多国籍化している状況である。

また、あらゆる分野で世界各国との国際交流が進み、各国料理への人々の関心、需要も高まっている。都市にはさまざまな国の飲食店が軒を連ねており、世界各地の味を日本にいながらにして味わえるといっても過言ではない。近年は自然食品や健康食品への関心も高く、今や日本の食文化そのものが、多岐にわたる飽食の時代を迎えているのである。一方、日本食文化の海外への展開もある。1970年代後半になると、アメリカから始まった健康食ブームに乗って、魚と米を主体とする日本料理が健康食として高く評価され、特に寿司に関心が集まり、欧米の各都市に「SUSI BAR」が開店し、その人気はますます広がっている。日本料理の世界的認知の第一歩である。ほかに、テリヤキ

カップヌードルなどが知られ、醤油が新しい調味料として欧米で市販されるようになった。

*海外旅行に行った時に、パリでちゃんぽんを食べました。マイアミの空港では寿司を

 食べましたが、まだその当時はあまり美味しくなかったと思いました。

 

*和食2013年(平成25)12月に,ユネスコ無形文化遺産に登録され、世界の

 文化遺産として日本の食文化が認められた。良かったです。