日本の主食 米について
主食とは・・・エネルギーの中心となる食物(主食が単一の国は少ない)
日本人と米
稲の発祥地・・・インド東端のアッサム、中国南部の雲南地方
水田耕作の技術が、大陸より日本に入ってきたのは、縄文時代後期である。
これにより稲作文化を形成する日本人の基礎ができた。(米が主食となる)
*米食と稲作の変化からみる日本史
第1の時代 弥生時代の中頃 米や稲作の影響がほとんどなかった時代
第2の時代 古墳・飛鳥時代 米が国家を作り、その国家が稲作を強力に
推進した時代 米事物資であった
第3の時代 奈良時代~ 稲作は民営化し、有力な貴族や武士が米造り
で力をつけた
中世・戦国時代 中世は厄災の時代であるとともに、現代の
米食や稲作の文化の原型が形つくられた
戦国の時代は米が軍事物資として主役に
座った時代
第4の時代 江戸時代 米本位体制がとられ、米は貨幣の役割を担っ
た。都市では米食文化が花開き、江戸市民は
庶民を含め、現代東京人の5倍の1日750㌘
もの米を食べていた。
水田の造営技術が花開き、水田生態系が
完成をみた時代
第5の時代 明治時代 米は再び軍事物資になる。
「富国」とは米の増産を意味した。
稲作農家が一粒でも多く米を取ろうと地道な
努力を続けた時代
第6の時代 現代 米食と稲作は、1945年の終戦を契機にあらゆ
る役割を一挙に失った。
米は単なる食料と化した。
1960年代中頃からは、米余りの時代となり、
1人当たり年間消費量は、半世紀の間に半減
した。米に代わり小麦の消費が増え、中食、
外食の浸透で食の外部化が進んだ。
*このような食生活の変化により、大腸がんが増加しており、死亡者数でも
第2位となっている。
1970年代以降、増加の一途をたどる背景には、和食中心の食生活から、肉食など
の動物性脂肪やタンパク質の過剰摂取といった欧米化した食生活の変化が指摘さ
れている。
日本人の体質には、主食である米・味噌汁・魚・煮物が一番合っていると言われ
ている。
欧米人と比べて、大腸の長さが違うことと、寒い国の食事は、温帯気候である
日本と、気候・風土の違いが影響してあっていない。そのような食べ物の変化が
色々な病気が発生する前提になっているのではないか。
前に「42才寿命説」という栄養学の先生が書いた本を読んで、その土地の
気候・風土で食べるものが違うのはあたりまえで、そこに住んでいる人たちが
自分たちに1番合っている物を食べているという、過去からの人間の生活の知恵
を,軽んじてはいけないとのことだった。