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お茶は、なぜ世界で飲まれるようになったの?

茶の生い立ちから進めましょう。茶はツバキ科に属する常緑低木で、原産地は、東南アジアです。茶の呼び名は、広東語系はチャであり、福建語系はテといいます。最初の積出地から陸路を伝わった地域はチャ、海路を伝わった地域はティの発音が転訛しています。例えば、同じヨーロッパ諸国でも、ポーランドはチャイ、ポルトガルはチャ、イギリスはティー、ドイツはテーです。茶の文化は、そのまま各国語のなかに定着しています。中国で喫茶の習慣が盛んになるのは、随の文帝(589~604)の頃からです。ヨーロッパに伝えられるのは、1000年後のことで、1610年に、オランダの東インド会社により、ヨーロッパへ盛んに輸出されます。茶の主な栽培地は、中国・日本・台湾・インド・スリランカです。葉に含まれる酵素の発酵の仕方により、

① 非発酵系の緑茶

② 発酵系の紅茶

③ 半発酵系のウーロン茶

    3系統に分けられます。

 

紅茶と日本人

日本が紅茶を知ったのは、開港後欧米諸国列強が日本の輸出品として茶に注目していることがわかったときです。そもそも紅茶という言葉は江戸時代にはありませんでした。開港後外国人が日本の茶に関心をもっているというので、、外国の文献によって調査中、、ブラック・ティーをはじめ黒茶と訳したが、やがてこれを紅茶という日本語にしたのが多田元吉で、明治初年(1868)ののことです。多田元吉は内務省の役人となり、日本のおける紅茶製造に生涯をかけた人物です。

の本では、コーヒーは舶来の飲み物となり、紅茶は輸出用の茶になります。不思議なことは、紅茶が、コーヒーの同類として扱われたことです。ですから、明治になり、飲用が始まると、紅茶もコーヒーも、砂糖をいれて飲む習慣が定着します。

 

緑茶と日本人

平安初期の延暦24年(805)に、天台宗の開祖最澄が唐より茶の種を伝えます。さらに、翌年の大同元年(806)に、真言宗の開祖・空海が持ち帰った種子を、比叡山の麓に移植します。日本の茶の始まりです。中国の茶種と製茶の技術は、鎌倉初期の建久2年(1191)に、臨済宗の開祖・栄西により伝えられ、茶の栽培が本格的になります。そして、寺院中心の抹茶の習慣から、独特な茶の湯の文化を形成します。

近代になると、日本の緑茶は、幕末の開港を契機に、一転して輸出用の商品として注目されはじめます。ところが、明治の初年に、生産額の70~80%を占めていた輸出量は、アメリカやカナダが、インド・セイロン(スリランカ)の紅茶を買うようになり、昭和になると20%にまで落ち込んでしまいます。

その理由として

① 日本茶は、ミルクや砂糖を入れない飲み方であり

② 日本文化のムードが受け入れにくいから

     とされました。

しかし、日本国内の消費が拡大して、煎茶・番茶が好まれ、茶の大衆化時代が到来します。ところが、第二次世界大戦の後に、日本人の嗜好飲料の60%以上は、コーヒーが占めるようになります。イギリスのティーブレイクのように、ゆっくり茶を喫する楽しみ方は、世界的にも二極分化し始めます。ティーパックやインスタントティーが急速に普及し、缶ドリンクの立ち飲みが一般化します。一方、ヘルシードリンクが続々登場し、茶の薬用効果が見直され始めます。さらにまた、日本では、酒はハレの行事と直結し、茶は仏事などのケの飲料になります。