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想い出の旅 萩

明治維新胎動の地”であり歴史が息づく町・萩は、毛利家の城下町として栄えた町で、城下町の古い街並や、吉田松陰伊藤博文など数多くの歴史上の人物ゆかりの地でもあります。

松陰神社 維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、明治40年(1907)伊藤博文

     によって建立されました。境内には松下村塾や遺墨展示館・吉田松陰歴史館

     があります。ここが本当に維新の原動力になったのかと思うほど、小さな塾

     でした。

松下村塾 松陰神社の境内にある瓦葺きの平屋建て8畳・10畳半の2室の家で、吉田松陰

     が安政3年(1857)から2年半の間、下級武士や庶民の子弟を教育した私塾。

     高杉晋作伊藤博文など、明治維新期に活躍した多くの人材がこの塾から

     輩出されました。

      松陰辞世の歌 わが命 武蔵野の露と 朽ちゆとも

             とどめおかまし 大和魂

           大好きな歌です

 

萩城城下町 1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来、260年間にわたって36万石の城下

      町として栄えた萩市は日本有数の史跡都市です。

      重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並には

      今なお城下町の風情が色濃く残っています。

 

反射炉 安政5年(1858)に築かれたもので、艦船銃砲等の材料熔解製造に用いられ

     ていました。炉は玄武岩とレンガを使用し、基底は長方形で上部が漸次狭く

     なり、2本の煙突にわかれていて、高さは11.5㍍あります。

 

東光寺 元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧を開山として創建した全国

    屈指の黄檗宗の寺院で、毛利家の菩提寺である。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿

    はいずれも国の重要文化財です。本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就

    から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前に

    は藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並ぶ。このお寺には、いきましたが

    さすがに、由緒ある藩主の菩提寺と思いました。

 

旧萩藩校明倫館 高杉晋作を始めとした多くの萩の人物が学んだ、萩藩校です。

        1718年に5代藩主であった毛利吉元が、毛利家家臣の子弟教育の

        ために設立しました。約130年後の1849年に、城下の中心地であった

        現在地に移転され、規模も拡大されました。

 

萩焼 萩焼は、江戸時代に毛利氏の御用窯として発展しました。そのルーツは豊臣秀吉

   の朝鮮出兵までにさかのぼり、この時に朝鮮か招致された陶工によって創始され

   ました。土の風合いを活かした素朴な作風です。中でも、土が粗いため、浸透性

   保水性・保湿性に優れ、土と釉薬の収縮の違いにより、細かいヒビが入っている

   ことが特徴です。中に入れた水分が漏れ出すことはありませんが、ごくわずかず

   つ、器に浸透していきます。この浸透により、使い込む程に器の色合いが徐々に

   変化し、味わい深い色となっていきます。これは「萩の七化け」といわれ、萩焼

   最大の魅力です。