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日本の食の歴史 中世(鎌倉・室町・安土桃山時代)2

室町時代

四条流、進士流などの料理の流派がそれぞれの型を確立させ、武家社会の饗応料理である本膳料理の基本が整った。

本膳料理 日本料理の正式な膳立て。武家の礼法が確立した室町時代に始まり、江戸時代に大きく発展した料理で、明治時代以降まで続いたが、現在ではほとんど廃れ、冠婚葬祭などの儀礼的な料理にその面影を残す程度である。

室町時代のころの本膳料理は、武家社会の饗応の膳として用いられ、式の膳、饗の膳から形成されていた。

式の膳とは元服祝言等の諸祝儀に行なわれる杯取り交わしの儀式で、式三献の作法によって執り行われたもの。現在の婚礼の儀式に行なわれる三三九度はその名残である。

饗の膳は、本饗の膳(本膳)、二の饗の膳(二の膳)、三の饗の膳(三の膳)からなり、大饗宴になると七の饗の膳(七の膳)まで出されるようなものもあった。

その献立は、一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁五菜、三汁七菜、三汁十一菜等の種類である。

配膳形式は、本膳に7種、二の膳に5種、三の膳に3種の菜を置くなどの形式で、七五三、五五三の名で呼ばれている。また、同種同味の料理を出さないという原則もある。

 

安土桃山時代1873年から)

室町時代末期の戦国時代を経て花開いたこの時代は、短い時代であったが、歴史的、文化的に重要な時代である。食の面においても中国、朝鮮などの影響に加え、ポルトガルやスペインなどの南蛮文化が取り入れられるなど、新風が吹き込まれた時代でもあった。頻繁に来航した南蛮船によって、じゃがいも、かぼちゃなどの南米原産の野菜やパン、南蛮菓子(カステラ、コンペイトウなど)が伝えられた。後の普及する南蛮料理は、とうがらし、ねぎ、油脂を用いて調理するのが特徴である。代表的なものに南蛮煮

南蛮漬けなどがある。

当時、一般的には仏教の影響で牛肉は食べられていなかったが、キリスト教の布教が進んだ地域では、ワカ(ポルトガル語のVACAで牛の意)という別称で牛肉が食べられていた。

また、この頃から蒸し飯の強飯から、水を加えて炊飯する姫飯に変わり、2食から3食に移行していったとされる。

この頃、千利休により茶道が完成し、それと並行して濃い抹茶に軽く供される会席料理(後の懐石料理)が考え出された。

 

千利休 信長や秀吉に仕え、わび茶を完成させた千家流茶道の祖。懐石料理の基礎を作った。ごまを使った利久揚げや利久煮は千利休にちなんだもの。休の字を忌避して久の字を当てた。

 

*一休の作った大豆製品 室町時代中期、禅僧一休によって、塩納豆(寺納豆)が作ら

            れ、大徳寺(一休)納豆と名付けられた。