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日本の食の歴史 中世(鎌倉・室町・安土桃山時代)1

鎌倉時代

貴族所有の荘園の管理者を務め、元々農民であった武士が台頭し、建久3(1192)年、

鎌倉幕府が成立した。武士は農業生産に深いつながりを持ち、簡素で合理的な生活態度で、食生活も実質的、健康的であった。玄米を主食に一汁一菜であった。この時代は魚鳥、野獣、野菜、果物など食材の種類は平安時代より大幅に増えたが、武士の食事は質素であった。肉食忌避の思想は中世にはさらに広まったが、武士は巻狩などで鹿、猪、野兎などを捕獲し食べた。しかし野獣食は全般的に減り、魚介類が我が国の食生活で重要になった。調味料は塩・酢(主に梅酢)の他にみそも登場し、甘味としてあめや蜂蜜を用いていた。

また、宋より伝わった禅宗の振興に伴い精進料理が広まり、それに合わせて大豆食品も発達し、点心も広く食べられるようになった。

*点心 日本には禅とともに中国から伝来したもので、禅僧が食間ににとる、ようかん、うどんなどをさす。やがて、一般でも間食や軽い食事を意味するようになる。

一方、それまで貴族社会でしかのまれていなかった茶が、栄西によって武家社会にまで普及が図られた。

 

室町時代

室町幕府は1334年京都に開かれ、約240年続いた。この間武家は宮廷貴族の生活に親しみ、豪奢な消費生活に溺れていった。この時代は宮廷貴族の食文化と武士の食文化が影響しあい、それに禅宗の食文化と茶道に伴う懐石が渾然と混ざり合い、さらにヨーロッパの食文化が加わり、調理法の発達と相まって、わが国にこれまでにない、全く新しい食文化が生まれ、米と魚と野菜を中心とする日本型食生活の基本が作られた時代であった。この時代は農業が進歩して米の生産量が増え、米食が庶民にもかなり普及した。

米や米粉の加工食品の餅菓子、ちまき、団子なども民間に現れた。

また造船技術の進歩によって室町時代後半には沿岸漁業に加えて、沖合漁業が始まり、食用魚種が大幅に増えた。この時代は食品の種類が非常に多くなった時代で、以後明治時代に欧米の食品が渡来するまで、わが国で用いられた食材のほとんど全てがこの時代に出現している。しょうゆが西日本の各地で製造されるようになり、この新しい調味料は日本の料理に革命的変化をもたらした。また砂糖が輸入され、甘味料として上流階級に用いられた。刺身の名が室町時代に初めて記録されるが、古くからの膾が発展したもので、この後江戸時代を通じて刺身はわさび醤油とともに日本料理の中心的料理になった。