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邪馬台国はどこ? 4

景初二年六月、倭の女王は大夫難升米を帯方群に遣わし、魏の天子に朝献したいと請求した。帯方太守劉夏は、役人を遣わし、これを引率して洛陽に至らしめた。その年の十二月、魏の明帝は詔して、倭の女王に次のように述べた。「親魏倭王卑弥呼に命令を下す。帯方太守劉夏が使いを遣わし、汝の大夫難升米と次使都市牛利を送り、汝の献じた男の生口四人、女の生口六人、班布二匹二丈を奉り、わがもとに至った。汝の国ははるか遠いのに、使を遣わし朝貢したのは、汝われに対する忠孝の表れで、感心なことである。今、汝を親魏倭王に任じ、金印・紫綬を与えることにし、それを包装して帯方太守に託して、汝に授けることとした。汝は倭人を撫しわれに孝順をなせ。汝の使者難升米と牛利は、遠くからはるばる労して来朝したので、難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉に任じ、ともに銀印・青綬を受けることとし、引見し賜物してこれを送り返す。

今、こう地交龍錦五匹、こう地すうぞくけい十張・せんこう五十匹・紺青五十匹を汝の国信物にたいする回賜として与え、またとくに、汝に紺地句文錦三匹・細班華けい五張・白絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各々五十斤を与えよう。これらの品物は、みな包装して難升米・牛利に託すので、彼らが帰国したら、簿録(物品目録)と品物を照合して受取り、汝の国の人々に示し、魏が汝を大切に思っていることを知らせなさい。よって鄭重に、汝に好物を与えるのである」と。

正始元年、帯方太守弓は、建中校尉悌らをつかわし、この詔書印綬をもって倭国に行かせた。使者は、魏の少帝の使者という立場で、倭王に謁し、詔書をもたらし、賜物としての金巾・錦けい・刀・鏡・采物を賜った。倭王はこれに対し、使者に託して魏の皇帝に上表文をおくり、魏帝の詔と賜物の答礼の謝辞をのべた。

同四年、倭王はふたたび大夫伊声・掖邪狗ら八人をつかわし、生口・倭錦・かとりきぬ・さしこ等を献上した。掖邪狗らは、率善中郎将の印綬を授けられた。同、六年、少帝は詔して、倭の使者の難升米に、黄色の軍旗をあたえることにし、帯方軍に託して、これを授けさせた。

同八年、帯方群の太守王頂があらたに任官された。倭の女王卑弥呼はもともと狗奴国の男王卑弥弓呼と不和で、倭の戴鳥越らを帯方群につかわし、互いに戦っている状況を報告した。そこで太守は寒曹史張政をつかわし、先の詔書と黄色の軍旗をもって行かせ、難升米に授けて檄文をつくって卑弥呼に教えさとした。