72歳でブログはじめました!!

72歳のおばあちゃん!ブログ挑戦中!!

邪馬台国はどこ? 3

その集会や居住の坐位には、父子男女の区別はなく、人々は性来酒が好きである。支配身分の人に尊敬を示す作法は、ただ拍手をして、中国の礼にあてているようだ。人の寿命は、あるいは百年、あるいは八~九十年で、その習俗は支配身分の者はみな四、五人の妻を持ち、一般の村民でも二、三人の妻を持っている。婦人は淫らでなく、嫉妬もしないし、盗みもなく、争い事も少ない。法を犯せば、軽いものは妻子を没官され、重いものは家族と一族が殺される。身分の上下の秩序はよく守られ、十分に臣服している。租税等を収め、そのための建物(倉)がたてられ、国々には物資を交易する市があり、大倭に命じて、これを監督させている。

女王国より北には、とくに一大率をおいて諸国を検察させている。諸国はこれを畏れている。一大率はつねに伊都国におかれるが、これは中国の州の刺史のようだ。女王が使いを遣わして、洛陽や帯方群・諸韓国にいたり、また逆に、帯方群からの使いが倭に来た場合、何れも伊都国の港頭で臨検し、文書や賜物を調べ、女王のもとに届けるものが、これと違わないようにした。

身分の低い一般の村民が、支配身分のものと道で出会うと、あとずたりして路傍の草むらに入り、これに辞を伝え、また事を説明するには、蹲まったり、跪いたりして、両手を地につけ、尊敬の意をあらわす。そのときの受け答えの声をあいというが、中国でいえば承諾の意味とおなじことだ。

その国は、もとは男子を王としたが、七~八十年ほど前、倭国が乱れ、何年も互いに攻め合ったので、諸国は共に一女子を立てて王とした。これを卑弥呼という。

彼女は、神がかりとなり、おそるべき霊力を現わした。すでに年をとってからも、夫をもたず、弟がいて、政治を補佐した。王となってから、彼女を見たものは少なく、婢千人をその身辺に侍らせ、ただ一人の男子が飲食を給し、女王のことばを伝えるのに居処に出入した。宮殿・物見楼・城柵などは厳重に設けられ、つねの兵器をもった人々がこれを守衛していた。女王国の東、海を渡ること千余里で、また国々があり、これらもすべて倭種の国である。また侏儒国はその南にあり、人々の身長は三、四尺で、女王国と四千余里離れている。また裸国・黒歯国はその東南にあり、舟行一年で到着できるという。これらを含めて倭地の様子を尋ねると、海中の島々の上にはなればなれに住んでおり、あるいは離れ、あるいは連なりながら、それらを経めぎれば、五千余里にもなるだろう。