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いつまでもおいしく! お口の健康守るケア 2

歯磨きは、食後の3回に加えて、寝る前と朝起きてすぐに行なって下さい。

年を取ると歯茎が下がり根元に虫歯ができやすくなります。歯間ブラシやデンタルフロスを使って、根元や隙間の汚れも落とすことを意識するといいでしょう。

入れ歯は、洗浄剤に漬けるだけでなく、必ず、ブラシでこすり洗いをして下さい。

私は、かみ合わせがある状態が大事だと考えています。きちんと調整した総入れ歯であれば、寝ると時も着けたままで大丈夫です。部分入れ歯は、のみ込む危険があるので、外してください。

 

信頼できるかかりつけ医を

歯石など、歯磨きだけでは落とせない汚れもあるので、定期的に歯医者に行くことをお勧めします。年を重ねたからといって、メンテナンス回数を増やす必要はありません、高齢の方でも、日常の手入れができていれば、検診は半年に一度どよい人もいます。

自身の口腔状態を良く診てもらうのが大事です。重要なことは、信頼できる医者を見つけることです。かかりつけ医を持てば、相談しやすく、変化にも気づいてもらいやすくなります。口の健康を守ってくれる唾液は、環境により分泌量が変ります。歯石がたくさんついているということは、体調が優れなかったとのこと。体調が良くてご飯をしっかり食べているときは、唾液も多く歯もきれいです。反対に体調が悪く、食事量も減ると唾液が唾液が減っても歯も汚れやすくなります。歯の健康も、体の健康とつながっています。また、水分補給を忘れないようにして下さい。体の水分が少ないと、唾液も減ってしまいます。コーヒー、紅茶、緑茶などは、利尿作用があり、水分補給に向かないので注意しましょう。口から食事を取れるというのは、実は素晴らしい事です。ちょっとした心がけで、その機能を長く維持できます。ぜひ、今日から取り組んでください。

いつまでもおいしく! お口の健康守るケア

食事を美味しく味わうことは、生活の質を高めるとともに、健康の維持にもなります。食事を味わい、いつまでも、かんで食べるためには、日頃から何を心掛けたらよいのでしょうか。口腔ケアについて、調べてみましょう。

 

良くかんで食べることが一番

「かんで食べる」ためには、口の機能が調和して動く必要があります。

その機能とはーーーー。入れ歯でもよいのですが、十分な数の歯で、よくかむこと。砕いた食べ物を、唾液と舌で塊にまとめること。飲み込んだ食べ物が、スムーズに食堂に送り込まれること。

これらの口の機能が低下すると、食事がしにくくなって、栄養バランスが崩れやすくなります。「口が渇く」「口が臭う」「むせる」「たべこぼす」「滑舌が悪くなった」「硬い物がかめない」などは、機能低下の兆候です。注意しましょう。

機能低下に対抗するには、「よくかんでたべること」が一番です。例えば、20代の頃と比べて歩行速度は遅くなっても、日頃歩くことを意識していれば、年を重ねてもしっかり歩けます。それと同じで、肉や根菜類など、かみ応えのある物を、よくかんで食べる習慣をつければ、機能を保ことができます。奥歯でかむことで、多くの筋肉が動き、口の筋トレになります。柔らかい物だと、飲み込む機能が働き長くかんでいられないし、唾液の分泌量も少なくなり訓練になりません。また「片側の歯が痛いけど、反対ならかめる」と、処置を後回しにする方がいます。負荷が10対0になると、さすがに耐えきれず、健康な歯が、割れたり、欠けたりすることがあります。かめない理由が出てきたときに、いかに早く対処するかが機能を保つためには重要です。

 

寝る前と朝起きたら歯磨き

「かんで食べる」ことができなくなる理由で多いのが誤嚥性肺炎です。肺炎で入院すると、菌飲食となることがしばしばあります。禁食の間に口の機能が低下し、食事をすることが難しくなります。

誤嚥性肺炎と聞くと、食べ物が原因と思うひとがいますが、主な原因は違います。実は、寝ている間に飲み込む唾液を誤嚥して肺に入ってしまい、発症するのです。唾液が肺に入ったからといって、必ずなるわけではありません。口の中が汚いと、唾液に細菌がたくさんいるので、肺炎を起こしやすくなります。これを防ぐには、口腔機能をあげるとともに、寝る前に細菌を減らすことです。また、唾液の少ない夜間に、口の細菌は増えます。この状態のまま、朝食を取ると、大量の細菌を食事と一緒に取ることになり、誤嚥したらそれこそ大変なことになってしまいます。

ベジタリアンとビーガン

世界には信仰からではなく、哲学、健康・美容・地球環境・倫理・動物愛護・食の安全性の確保等の理由から肉を食べない人々がおり、そうした人への配慮も必要です。

ベジタリアンとは様々なタイプの「菜食主義者」の総称であり、ビーガンは卵や乳製品を含む、動物製品を一切口にしない「完全菜食主義者」を指します。

 

菜食主義者に食事を提供する際の注意

厳格なベジタリアンは、肉類を料理した調理器具が使われることを忌避します。また、魚介類全般を忌避するベジタリアンは、「カツオ節の出汁」も対象になります。日本の精進料理にはカツオ節の出汁が使われることがあるので注意が必要です。

「ブイヨン」「ゼラチン」「肉エキス」には、鶏・牛・豚・魚の肉や骨が使われています。また伝統的な製法から動物性の「レンネット」(骨で作られる酵素の混合物)を使って製造したチーズは、乳製品・卵は食べて肉は食べない乳卵菜食主義者には提供できません。

「卵」については、まれに宗教上の理由から、有精卵を避けて無精卵だけを食べる人もいます。

菜食に類似した主義には、たとえば以下のような種類があります。

① セミベジタリアン=半裁食主義。肉の摂取を控えている人

② ポヨ・ベジタリアン(POIIO=スペイン語で鶏)=赤身の肉や魚を避けるが

    鶏肉は食べる。

③ ペスコ・ポヨ・ベジタリアン=赤身の肉を避けるが鶏肉と魚は食べる。

④ ぺスクタリアン=肉は食べないが、魚介類・卵・乳製品は食べる。

 

増え続けているビーガン

菜食主義の歴史は古代インダス文明の時代まで遡ることができますが、「ビーガン」という用語は、1944年にドナルド・ワトソンがイギリスのビーガン協会を共同設立した際に誕生しました。

ビーガン食は、ユダヤ教イスラム教の食規定、またキリスト教徒が四旬節などを行なう肉断食などにも適応できるため、様々な食習慣や信仰を持つ人々が集う国際レセプション等で参加者が一緒に食べられるメニューとしても注目されています。

ビーガ二ズムには次のような種類があります

① ダイエタリー・ビーガン=「厳格な菜食主義者」。人間は動物を搾取することなく生きるべきであるという思想から、畜肉・鶏肉・魚介類などの肉類に加え、卵や乳・チーズ・ラード・はちみつなど動物由来の食品を一切摂取しない。

② 果実食主義(フルータリアン)=果実やトマト、なすといった野菜、ナッツ類等、木や枝に実るものしか食べないビーガンの一派。

③ エシカル・ビーガン=倫理的な見解から食事に加えてウールや毛皮などあらゆる目的で動物の製品化に反対する。

④ 環境ビーガン=動物の産業農業が環境に有害で持続不可能であるという前提で動物製品を拒否する。

 

医学的、栄養学的には賛否両論あるビーガ二ズムですが、昨今の環境や社会問題の解決に貢献できる商品を求めるエシカル消費、SDGS(持続可能な開発目標)への関心、また肥満・健康上の問題から、実戦する人は欧米を中心に世界的に年々増えているといわれます。国際線のフライトや国際会議などにもビーガンの特別食が用意されています。

食文化と歴史 2

古代の帝国と食文化

ローマ帝国

紀元前27年から、東ローマ帝国が1453年に滅亡するまで形式的には約1500年間も続いた大帝国。最大支配地は地中海世界を中心に、西は現在のイギリスから東はコーカサスに至り、ペイストリーやパンケーキなどローマの料理が今も旧領土の国々に残っています。

 

アレクサンドロスの帝国(マケドニア王国)

紀元前7世紀に古代ギリシャ人が建国した国家。アレクサンドロス大王ペルシャを征服して世界帝国となり、東西文化の交流や民族融合が盛んになりました。これをヘレニズムといい、米やぶどうの葉の詰め物(ドルマ)などの食品をギリシアにもたらす一方で、食品を温冷で分類する古代ギリシャの医学理論などをイランに伝えます。

 

ペルシア帝国

紀元前330年にアレクサンドロス大王に滅ぼされるまで古代オリエント世界を統一したアケメネス朝、226年~651年まで君臨したササン朝などイランを中心に成立していた国家の総称。ゾロアスター教を信仰し、最大領土はヨーロッパ南東部に及んでいました。

春分の日を新年に祝うノウルーズの習慣が今も旧領土だった地域に残っています。

 

中世以降に長期にわたって続いた帝国

イベリア半島にアラブ食文化を伝えたイスラム帝国、世界史上最大領土を誇りインドの富を支配していた大英帝国、ヨーロッパに侵攻しタルタルステーキなどを伝えたモンゴル帝国、1270年~1974年まで存続し独自の食文化を育んだエチオピア帝国、ウイーンの洗練された食文化を生んだハプスブルク帝国、インドにイスラムの食文化をもたらしたムガル帝国などがあります。

 

世界三大料理

一般的に、中華料理、フランス料理、トルコ料理をさします。各々が個性豊かですが、共通するのは政治や財政、軍事が長期に安定した帝国で発展したこと。肥沃な農地と食材に恵まれ、王侯貴族が美食を求める余裕もありました。宮廷晩餐会には料理人達が切磋琢磨し、食文化が洗練されたのです。

 

食文化を変えた歴史上のできごと

シルクロード、仏教伝来(6世紀)

シルクロードは広義にはローマから、西安を越え、仏教伝来の流れを汲んで日本の奈良とつながっていました。陸と海のシルクロードがあり、ペルシャとも交流があったことは正倉院の宝物からも推察されます。ペルシャ系商人のソグド人は中国にゴマやコショウ、くるみなどをもたらし、それが日本にも伝わりました。

 

大航海時代(15~17世紀)と三角貿易(17~18世紀)

コロンブスの”発見”を機に、アメリカ大陸原産のとうもろこしやじゃがいも、トマト、唐辛子などがヨーロッパに伝わり、さらに全世界に伝播しました。特にじゃがいもはやせた土地や寒冷地でも育ち、人々を飢えから救いました。

大航海時代以降、ヨーロッパ列強による新大陸、アフリカ、アジアの植民地が始まります。ヨーロッパとアフリカ、新大陸間で三角貿易が行なわれ、この奴隷貿易を通して、熱帯で育ちやすい南米のキャッサバやとうもろこしがアフリカに、南太平洋のパンノキの実がカリブ海の島々にもたらされます。

 

産業革命(18~19世紀)

三角貿易で莫大な利益を得たイギリスは、機械制工場と蒸気力の利用を中心に産業革命と社会構造の変革を推進、日本を含む欧米諸国も追従し、手作りの食品の多くが工場での大量生産になった反動で自然回帰や動物愛護、菜食主義が台頭します。

食文化と歴史 1

食文化について学ぶとき、世界史をおおまかに把握しておくと理解度がぐっと高まります。歴史の流れは人の流れでもあります。どのように食文化が伝播し普及していったのか、重要なポイントを見ていきましょう。

 

古代文明と食文化

メソポタミア文明

イラクなど中東に位置するチグリス、ユーフラテス川流域は肥沃な土地で、約1万年前から小麦が栽培され、無発酵のパンが作られていました。紀元前3500年頃には高度なメソポタミア文明が誕生。豊かな土地ゆえに支配権をめぐる戦争が繰り返される中、シュメール、バビロニアアッシリアなどの国家が興ります。メソポタミアには、氾濫する川を整備して農耕を行なう灌漑農業やビールのほか、楔形文字で粘土板に掘られたレシピが世界で初めて登場。レシピの数々は近年、研究者によって解読され当日の食生活を知る手がかりになっています。また、他の文明地域と交易も行なわれました。

 

エジプト文明

ナイル川流域に栄え、メソポタミアとともに古代オリエントの「肥沃な三日月地帯」を形成した文明。農業が盛んで小麦を育ててパンを主食とし、細粒の小麦粉を挽く回転石臼が発明されました。エジプト人はパンを「エイシ(アイシ)=アラビア語で”命の意味”と呼びます。古代エジプトでは豆、特にそら豆も大切な食料でした。肥沃な土地で育ったおいしい食材に恵まれ、エジプト料理は今も素材の味を活かしたシンプルさが特徴です。

 

インダス文明

ヒマラヤを源流とするインダス川流域を中心に紀元前2600年頃栄えた、インド亜大陸最古の文明。メソポタミアにならって灌漑農業を行ない、スパイス文化の起源でもあります。主要都市ハラッパーの遺跡からはレンズ豆やひよこ豆、小麦、牛肉、鶏肉などのほか、ターメリックやクミン、シナモン、黒コショウ、コリアンダー、しょうが、にんにくなどを使った今のカレーの原型のようなものを食べていた痕跡が見つかっています。

 

黄河・長江流域の文明

黄河の中・下流域や長江(揚子江下流などで興った東アジア最古の原始農耕文明。

北方の黄河流域では主に小麦が栽培され、餃子、饅頭、包子などを含む麺食(粉食)文化が根付きました。一方、南部の長江流域では世界最古の稲作農業が行なわれ、米食(粉食)文化が発展。日本の稲作の源流にもなりました。

 

メソアメリカ文明アンデス文明

メソアメリカ文明は、メキシコから中央アメリカ各地に紀元前2000年頃から興った高度文明。古代にはオルメカやマや文明が繁栄しました。一方アンデス文明は紀元前2000頃に興った文明で、中世にケチュア族が築いたインカ帝国がよく知られています。

どちらも原産のとうもろこしを主食とし、粉を練って作るタコスやププーサ、アレパといった古典料理が今でも食べられています。

ハレとケの食事は、なぜ、違うの? 餅&酒

ハレの日には、なぜ、酒を飲むの?

酒は、神に捧げ神と共に飲む、ハレの日の重要な飲み物です。神に供える酒は、人を酔わせる不思議な力があり、神に対する古代信仰と結びついて、神事に捧げるようになりました。神酒と書いて、オミキと読みます。私たちは、酒により神とともに、陶然とした心境になることができます。このような宗教的儀礼と結びついた酒は、同時に、人と人との連帯感を強める役割を果たします。そして、飲酒の風習は、通常の生活にも取り入れられ、ハレの日の食べ物の日常化をもたらします。

 

日本酒は、清酒ともいわれ、我が国古来の酒で、米・米麹・水を原料とした醸造酒です。一般的な清酒の製造工程の概略は次の通りです。玄米を70%程度の歩留りまで精米した精白米を洗米、浸漬、水切りした後、蒸して蒸し米とする。蒸し米の一部はこうじ(酒こうじ)とする。蒸し米、こうじ、水を混ぜ、乳酸と酵母を加え、酒母を造り、これにさらに蒸し米、こうじ、水を3回に分けて加え、清酒もろみを造る。約20日間発酵させて熟成させる。この間に清酒独特の香味がつく。熟成後、圧搾して清酒酒粕に分ける。圧搾前に甘辛の調整のため、蒸し米または蒸し米を糖化したものの投入(四段仕込み)や、アルコールを添加する場合が多い。しぼられた清酒は濁っているため、おり引きした後、殺菌のため60~65どCに加熱(火入れ)し、味にまろみをつけるため貯蔵する。火入れ前の酒を新酒ということもある。市販の清酒は、貯蔵酒を調合、加水、炭素ろ過を行ない、香味、色沢を調えて加熱殺菌後、瓶詰などにされて出荷されている。

酒造りは、米と水の品質に影響を受けるため、これらの原料の厳選が必要である。

清酒には、製法品質が国の基準で定められている吟醸酒純米酒本醸造酒特定名称酒)とそれ以外の普通酒がある。その他、原酒、生酒、生貯蔵酒、たる酒、生一本などについても基準が定められている。また、自社内や特定グループ内で独自に特撰、上撰、佳撰などの格付表示を行う事も認められている。

ハレとケの食事は、なぜ、違うの? 餅&酒

ハレとか、ケとかは、どのように区別するのでしょうか?

文化人類学辞典」に、次のようにあります。

 日常的な普通の生活や状況を指すケに対して、あらたまった特別な状態、公的なある  

 いはめでたい状況を指す言葉をハレという。

 

ハレという言葉は、ハレ着・ハレの舞台・ハレ姿・ハレの場所のように使います。正月・祭礼・結婚式は、ハレの日です。柳田国男(1875~1962)という人は、日本人の生活についての膨大な資料を収集し整理して、民俗学という独特な学問を大成します。そのなかで、食べ物の素材について、ケの食事は雑穀や野菜など、ハレの食事は餅・飯・菜・焼米・団子・酒などが中心になる、と指摘しています。さらに、「柳田国男民俗学」には、つぎのような興味のある説明があります。

 ハレの食物が粒食ではなく、粉食中心であるのは、一つにはその加工に多くの手間が  

 かかり、大量には作れず、しかもその保存に日本の風土は適していなかったために、貴重品であったという理由があるが、しかしそれ以上に重要なことは、粉から様々な形を比較的容易に作ることができるということである。

 

柳田国男は、コムギからコムギ粉を採取するために、人類が長い年月を費やしたことに注目します。そして、普段は食べられない粉食は、ハレの日の食べ物であるとします。めん類は、まさしくハレの日の祝いの膳に出されます。さらに、粉から作られるハレの日の食べ物には、正月の鏡餅、3月節供菱餅、5月節供の粽・柏餅があります。外国にも、宗教的儀式と結びつく、数多くの象形パンやクリスマスケーキがあります。

 

餅は、いつからメデタイ日の食べ物になったの?

新年を祝う行事食のなかでも、各地に伝わる雑煮には、ハレの日を祝う日本人の凄まじい執念が感じられます。汁の仕立て方・餅の形・具の種類・食ベ方・風習など、地域により多種多彩です。例えば、関東の切り餅はすまし仕立て、関西の丸餅は味噌仕立てです。餅は、出産・誕生・節供・祭りなど、さまざまな行事に登場します。餅は、奈良期の正倉院文書「但馬国正税帖」天平9年(737)や、平安中期の「和名抄」承平5年(935)にも登場するなど、私たち日本人には、古い食べ物です。

「日本の菓子ーーー祈りと感謝と厄除けと」には、つぎのようにあります。

 日本人にとって餅は単なる食料ではなく、神に供えて神と人とが共に食べ、人と人との和を保つ霊的存在そのものであった。したがってその餅を勝手につき、しかもその意味ある餅を粗末にしたということでバチがあたり、家は絶え、その土地は不毛の地となってしまったということである。日本の餅は、信仰と深く関わっており、時代が下がって、「餅菓子」という名を得るが、餅はシトギとともに、まさに「聖なるもの」の代表であった。