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日本における自然災害の歴史 1

人間が地球環境に過度な影響を及ぼすようになった今日、頻発し、激甚化する自然災害に対して、私たちの弱さが露呈しているといえます。その意味で、人類は災害との向き合い方を見つめ直す必要があるでしょう。

特に、自然災害が昔から周期的に発生してきた日本においては「災後」というものはなく、私たちは常に「災間」(災害と災害の間)を生きている、という認識が適切だと考えます。感染症についても同様です。環境破壊が進み、大量かつ短時間での人の移動が可能になった現代は、新しい感染症がいつ現れてもおかしくない。私たちは「疫間」を生きているのです。「後=アフター」ではなく「間=ビトウィーン」、つまり「次の災害は来る」という視点に立つ時、必然的に「準備」という考え方が生じます。災害の場合、人類の力でなくすことはできませんが、そなえることで「減災」は可能です。

一方、戦争や紛争は、災害とは違い、人間の意思で起こるため、私たちの努力でなくすことができます。そのために、軍縮や予防外交といった備えに尽力する姿勢が、人間の本筋の生き方といえるでしょう。

「戦争は周期的に発生する」=「戦間」という発想に陥らないように慎み、「戦争を2度と起こさない」は「戦後」にしてみせるという希望を持ち続ける社会に転換できるかどうか。21世紀に生きる私たちの課題といえます。

いずれにしても「間」という視点を常に意識して、未来に向けて「準備」をする。そう考えるとコロナ禍を機に、例えば「国防」の考え方なども変るのではないかと思います。従来、国防とは、領土・国境、国の中枢を防衛する「国家の安全保障」が中心となってきましたが、それだけでは、災害や感染症に対峙することは難しい。私たちは、新型コロナの流行初期のマスク不足や、現在のワクチン接種などのように、国民の命や生活を守るために何が必要かを痛感したと思います。国民個人の人命を守る「国民の安全保障」が、これからの国防思想上の重要なポイントとなるでしょう。

 

災害や疫病は、個人の記憶の範囲を超えた周期で経験する場合が多いため、個ご人の心の持ち様も含めて、その準備が簡単ではないという側面があります。今回のコロナ禍も、ほとんどの人にとって”未知の事態”だったため、さまざまな混乱が生じました。

正確な情報がゼロに等しい状況下で、対処法を選択するためには、過去の事例からッ類推するしかない。その時、長い時間軸をもって物事を捉える歴史学の視点が訳に立つわけです。