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太陽の道 1

北緯34度線上にある奈良県の箸墓を中心とする東西約200キロの直線上に、日の神を信仰する古代の祭ひ遺跡が並んでいて、その線が北緯34度32分線上に一致するというところから「太陽の道」と呼ばれるようになった。太陽の道の東の端は伊勢の斎宮跡。西の端は淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)。この二つの「伊勢」の間に、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在している。共通点が太陽の祭ひに関係があり、磐座・岩石が信仰の対象となり、女性の祭ひ者のイメージが感じられるとされる。太陽神の祭ひに深い関わりをもった古代の「聖線」。すなわちこれが「太陽の道」と名付けられるゆえんである。桜井市では、長谷寺三輪山檜原神社国津神社・箸墓が線上に浮かぶ。古代王朝の政治的効果を狙って策定されたと考えられるが、地図や磁石のない時代に、東西の直線を引くことができたとするなら、古代の測量技術に驚嘆すべきである。

伊勢斎宮跡 → 室生寺 → 長谷寺 → 檜原神社 → 箸墓古墳 → 大阪山(穴虫峠) → 大鳥大社 → 淡路島(伊勢の森)

その中には、「日置」の地名も挙げられる。このライン上には、比企・引野・戸木など、関連するものも含め、多くが含まれている。さらに、日置(ひおき)とも近い、舟木(ふなき)。もとより西端の淡路の石上神社は、古代の造船集団である舟木氏との関わりが指摘されるが、東端の神島は奇しくも伊勢湾の海上交通の難所としても知られる。古代には、太陽の出る所、そこに永久不変の国ユートピアがあると信じられていた。穴向峠を西に進むと河内平野から大阪湾に入り、さらに海上に線を押していくと淡路島の「伊勢の森」に到達するのである。伊勢の森とは、伊勢の神の山という意味になり、ヤマトを中心として東西ほぼ等距離に伊勢の神が居る事になります。

このことは”まほろば”を中心に日の出の地と日の入りの地のそれぞれに、太陽神を祀ったことを示しています。これは充分考えられることで、朝日の三輪山と夕日の二上山を、それぞれ東西に延長したのが、伊勢と伊勢の森になるわけです。このふたつの伊勢は、初期大和国家の両端を示し、その規模と国家観念を物語るもののようである。

大和を中心とした二つの伊勢は、日出る地と日没する地、すなわち常世に近い斎の地として設定されたものであろう。太陽の事を「天道」と呼ぶが、この東西約160キロに及ぶ太陽の道はまさに天道である。