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中国料理

中華料理、中国菜ともいう。

中国料理は、広大な土地と長い歴史を背景に発達してきたもので、古くから食材に対して関心を抱いた人々が食材料の探求、その特質を生かす調理技術の研鑽に力を注いで大成させた一つの文化遺産といってよい。

材料の範囲が広く、またその使いかたにむだがない。

例えば鶏なら、肉を使うだけでなく、皮も手羽先も鶏冠や脚部、内臓も材料とし、それにふさわしい調理法により持ち味を巧みに引き出している。

食品も保存技術が発達し、乾燥材料が多い。

これは、国土が広いため、運搬上の都合から必然的に生まれたものである。

また、そうした材料を生かして使うためにもどしかたの技法も発達している。

さらに、油の使い方も巧みである。油を使わない料理はないといってよいほど油を用いるが、材料の風味を損なわず、栄養分を破壊することなく、実に巧みに使っている。

一方、調理器具は少ない。

中華鍋、玉じゃくし、穴じゃくしがあればほとんどの料理をこなすことができる。

包丁もたいがいは1本の中華包丁で間に合う。

食器も、大皿に盛った料理を取り分けて食べる形式なので、数は少ない。

 

国土が広く、地域によって気候、風土、産物などに大きな違いがあるため、各地に特色ある料理が存在する。

 

中国料理の系統

 北方系  北京料理  濃い味 

      中国北方に位置し、冬は寒冷で乾燥する地域であるため、油脂を多用する

      調理が多く、甘みを控えた味付けや、ねぎ、にんにく、香菜などを使用し

      た香り高い料理が多くみられる。

      代表的な料理には、北京ダック・羊肉のしゃぶしゃぶ・水餃子などがある

      調理法では、高温の油を使用して炒める爆、またチンタンやサイタンを使

      用した高級なスープ料理に定評があり、宮廷料理の基礎となった高度な

      調理技術を有する。

 

 東方系  上海料理  酸味

      中国東方に位置し、揚子江下流域に当たるこの地域は気候が温暖で日本

      と同じように四季の変化がある。中国有数の米作地帯で、上海がにや

      こいなどの淡水魚の養殖も盛んに行なわれており、古くから魚米之郷

      と呼ばれている。また、紹興酒や香酢(中国酢)、金華ハムの生産地

      もあるため、これらを使用した料理が有名である。

      代表的な料理には、豚の角煮、上海かに入り小籠包、草魚の甘酢あんかけ

      などがある。

      調理法では、長時間煮る技法に優れ、古い歴史を有する料理が数多く伝

      られている。また、味付けは甘み、塩味、辛みに偏りがなく、日本人に

      親しみのある料理である。

 

 西方系  四川料理  辛味

      中国西方に位置し、揚子江上流に当たるこの地域は、温暖湿潤な気候で

      曇りや霧の日が多く、そのため新陳代謝を促す唐辛子を使用した辛い

      料理が発達した。四川料理百菜百味(百の料理があれば百通りの味

      付けがある)といわれるほど多彩な味付けに定評があり、材料を巧みに

      調理してさまざまな料理を作り出すことに優れている。

      代表的な料理には、麻婆豆腐・回鍋肉などがある。

      調理法では、干焼や干炒など、じっくり煮込んだり、炒めたりして味を

      濃縮する技法に優れている。

      

南方系  広東料理 淡泊な味

     中国南方に位置し、亜熱帯、熱帯に属する地域で、海産物、野生動物、野菜

     南国果実など、多彩な水陸の産物に恵まれており、海鮮料理に定評がある。

     また、古くから貿易港として栄えた香港などの大都市では、外国との往来も

     盛んだったためヌーベル・シノワーズと呼ばれる新しいスタイルの中国料理

     も早くから発達した。

     代表的な料理には、子豚の丸焼き・酢豚・はとやジビエ料理などがある。

     調理法では、あぶり焼きのかおが有名で、点心の種類も、1000種類を超える

     といわれ、飲茶も盛んに行なわれている。

     

      

      

イギリス料理

イギリスには行ってないので、どのような料理があるのかわかりませんが、調べて書いています。

一般に堅実で保守的なイギリス人は、食事に関しても実質的なものを重んじます。

調理法や味付けは全体に単純で、肉料理ならローストビーフやローストラムのような

ロースト(材料主に獣鳥肉をオーブンで焼き上げること)料理が代表でです。

牛の尾を使ったオックステールシチュウ、羊肉と野菜を使ったアイリッシュシチュー

のような煮込み料理や、子牛や子羊の腎臓を加え、詰め物をして焼くキドニーパイなど

家庭料理に名物が多いです。

新鮮な魚介類を使った料理は島国ならではで、特に北海のさけで作ったスモークサーモンは定評がある。

また、街角でよく見られるフィッシュアンドチップスは、白身魚のフライにフライドポテトを付け合わせた料理で、手軽で庶民的な食べ物であります。

 

イギリス人の紅茶好きは有名で、アフタヌーンティーやハイティーの習慣を持っています。

 

* アフタヌーンティー  19世紀半ばに、貴婦人の間で始まったイギリスの生活習慣

              の一つです。軽い昼食と午後8時頃の夕食との間の軽食

              付きの優雅なお茶会。

              紅茶、3段のケーキスタンドにのせられたクッキー、

              ティーサンドイッチ、スコーンなどが供される。

              午後4時から5時頃行なわれるので、ファイブオクロック

              ティーともいいます。

 

* ハイティーの習慣について

    イギリスのティータイムの一つで、コンサートやオペラ鑑賞の前の軽い食事と

    して親しまれています。夕方の5時から6時に、紅茶とともにサンドイッチ・

    サラダ・ケーキなどの他に、肉料理などが出されることもあります。

    ハイティーのハイは子供用のハイバッグチェア(背もたれの高い椅子)に

    由来しており、もともとは子供や仕事を終えた男性の習慣であったそうです。

    イギリスの植民地であったシンガポールなどでも、親しまれている習慣です。

 

ティータイムに味わうビスケットやスコーン、ケーキ類の種類の多さもよく知られています。また、ラム酒に漬け込んだ干しぶどうやオレンジビールなどのドライフルーツをたっぷり入れて作るプラムプディングは、クリスマスの菓子として定番です。

 

 イングランド料理、北アイルランド料理、スコットランド料理、ウェールズ料理に

 分けられ、また、これから派生したものにアングロ・インド料理があります。

 

 以前、カナダのバンクーバーに行ったとき、ホテル・バンクーバーで、アフタヌーンティーを食べました。

イギリスというと,スコーンをすぐ思い出します。

 

イギリス領だった国では、始業が9時、ティータイム10時、ランチタイム12時、午後のティータイム15時、終業17時だと聞いたことがあります。

 

なんともうらやましいですね

  

浅見光彦シリーズ 砂冥宮

砂冥宮の舞台は、神奈川県の三浦半島と石川県の内灘です。

いつものように、雑誌「旅と歴史」の来月号の特集は「三浦半島」と決まり、編集方針として「民間伝承を中心にしたものにする」が示されたので、泉鏡花の「草冥宮」のヒントになった秋谷の須賀家のことや、三浦半島の地誌を予習して出かけた。

 

須賀智文にあって、取材をし、記事ができたので報告とチェックを頼もうと電話をした時に須賀の事件を知ることになったのである。

その事件というのは、小松市安宅の関近くで殺人事件があり、被害者は須賀智文・

77歳とのことで、ビックリして、須賀家に行き、色々聞くが、家族が知っていたのは、金沢にある泉鏡花の生家を訪ねて、それから泉鏡花ゆかりの温泉、辰口温泉に泊まりたいと言ったいたとのこと。人に逆らうのが面倒で、たいていのことは「はいはい」と聞いてくれた。そのような人間が殺されなければならないという、理不尽さに,浅見はおかしいと事件の解決をして行くのである。

 

警察の調査もなかなか結果ででないような状況下で、浅見は偶然、内灘に須賀が行ったことを突き止めたが、なぜ、内灘なのかがわからないのである。

 

内灘町役場に行き、内灘の歴史は、河北潟の利用と、それに、押し寄せる砂との戦いの歴史だった。案内の女性は,横浜のひとで、内灘の歴史に惚れ込んで永住してしまったとのこと。お母さんの青春をかけた、思いのこもった土地だそうです。

 

内灘闘争(砂丘で起きた日本初の基地反対闘争」

  内灘闘争とは、1952年石川県河北郡鬱灘村(現在の内灘町)で起きたアメリカ軍の試射場に対する反対運動である。

 

内灘町で案内してもらった女性の紹介で、彼女の母を訪ねて行き、内灘闘争に参加して、いろいろな思惑の中で、頑張ったけど、最後は敗れたことや、須賀のことも、思い出してくれた。彼女曰く、運動に参加して、何よりも辛かったのは地元の若い人から「あんたらは、帰るところがあるからいい」って罵声を浴びたことでした。

若いから、リーダーのアジ(煽動)で奮起させられたが、結局は敗北に終わって、家に帰り、大学に復学したとのことでした。

 

須賀智文が三浦半島にゴルフ場が出来ることに激怒していたのを、浅見は、初めて取材に行ったときに聞いていたので、そのゴルフ場の開発に関する資金の流れ等を調べて、自分が学生時代に内灘闘争に参加したときのリーダーが不正融資の張本人だと突き止めて、本位を促したところ、殺されたのである。その後。同じ内灘闘争の仲間も、須賀智文の殺人事件を知り、リーダーを追い詰めて殺されたのである。

 

浅見は、内灘で激しい基地反対闘争があった時、須賀さんや、大脇さんを煽って、逃走の先頭に立ったリーダーが、反省もなく,のうのうと不正を働くのが許せなかったのである。

 

私が、大学に入学したのが1967年で、1年の時は、学生運動は盛んではなかったが、1968年の1月19日のエンタープライズ佐世保入港阻止に対して、全国から多くの学生が佐世保に集結したのをテレビで見た記憶があります。そのときに九大に学生が集結しているとかで、機動隊が九大に入ったというのもテレビで見ました。

1969年1/18・1/19に東京大学安田講堂全共闘の学生を排除することを目的に機動隊が大学構内に入ったのもテレビで見ました。

1970年の安保闘争が,盛んになる時期で、私の大学でも、学生のリーダーが演説をしていました。ああいうリーダーの方は演説が上手ですよね。なるほどと納得することもありましたが、体制がどうとか、こうとかといっても、体制なんてそんなに変るものではないと思っていましたので、ノンポリ学生でした。

女子学生の一人が、学生運動にのめり込んで、親御さんが送ってきた授業料を払わないで、退学をしました。ミッション系の高校を卒業した人で、とても感じが良くて、仲よしだったので、残念です。彼女は今、どうしているのかと思います。

この砂冥宮を読んで、若い頃を思い出しましたが、学生運動をしていても、4年性になると、さっさと運動を辞めて、公務員になったり、商社に入ったりした人を見て、頭のいい人は簡単に変ることができるんだと思いました。

 

森繁久弥の「知床旅情」がよく流れていました。

  知床の岬に ハマナスの咲く頃 思い出しておくれ 俺たちのことを

  飲んで騒いで おかにのぼれば 遙か国後(くなしり)に 白夜は明ける

 

 とても、懐かしい歌です

 

 

精進料理・普茶料理

精進料理

 

仏教思想を基本とした料理で、一般には仏事の際の料理とされる。

仏教では殺生禁断の教えから、生臭物は一切禁じられている。

また、精進潔斎(肉食を絶ち、身を清めること)として動物性の材料を用いず、すべて植物性の材料を使う。

僧侶が仏前に供えた供物を下げて、食事の材料にしたのが始まりという。

コンブや干し椎茸などからだしをとり、野菜を中心に、タンパク源として豆腐や湯葉などの大豆製品や生麩などを使った料理である。

 

鎌倉時代に盛んになった禅宗の僧の簡素な日常生活の中から、日本独自の精進料理が形成されていった。

 

精進料理の特徴

 ① 生臭物(動物性食品)を用いず、タンパク質源に大豆や種実類を多用する

 

 ② 自然の味を生かす

 

 ③ 陰陽五行説に基づくといわれる五味・五色・五法を料理全体にバランスよく取り

   入れる

 

  * 五味  甘み・辛味・塩味・苦味・酸味

  * 五色  青・赤・黄・白・黒

  * 五法  生もの・煮物・揚げ物・焼き物・蒸し物

 

寺院料理である精進料理は、各寺院に独自のものが伝えられており、東大寺の結解料理は、我が国最古の精進料理といわれる。

また、鎌倉時代道元が伝えた永平寺の精進料理は、両派のひとつとして確立されている。

 

 *結解料理  労をねぎらう晩餐であったという。1200年前の寺の古文書にも特別な

        料理内容や様式が伝えられており、東大寺では現在でも古式にのっと

        って、ろうそくをともした中で結解料理を食べる。

 

 *道元    曹洞宗の開祖で、越前(福井県)に永平寺を開く。

        著書「典座教訓」の中で、料理を作る際の心得として「喜心(喜びを

        感じる心)・老心(自己を忘れ、他人のために尽くす心)・ 大心

       (大きく構え、少しのことでは動じない冷静な心)」の言葉を

        残している。

 

 

 普茶料理 中国風精進料理

  江戸時代初期に明の禅僧隠元により伝え 普く(広く)一般大衆に茶を供するとい

  う意味がある。僧侶が茶を飲みながら協議などをする茶礼のあとに普茶料理は出

  された。

  肉や魚に見立てて作られた擬製料理などを大皿に盛り付けて、取り回して食べた。

   * 擬製料理  本物をまねて作った料理のこと。水気を搾った豆腐に野菜や

           豆類などを加えて、焼くか,蒸すかして、もとの豆腐の形に

           した擬製豆腐などがある。

 

  

  *越前永平寺派(精進料理)

    銘々膳を用い、料理も銘々盛りが基本。味付けは比較的淡泊である

 

  *宇治万福寺派(普茶料理

    中国式の精進料理。料理は大皿盛りで、各自取り回して食べる。

    二汁六菜を基本とし、油脂と葛を多用する。味付けは比較的濃厚である

 

 

  禅では食事の前にするお祈り、「五観の偈」がある。簡単にまとめると

   1. 目の前の食事の来歴に思いを馳せる(どんな風に育ってきた食べ物か、

     誰のどんな手がかかってここまで運ばれてきた食べ物なのか、各行程

     を考えてみる)。

   2. この食事に値する徳と行いを、今日の自分は積んだのだろうか?と自問する

   3. 貪り急ぐことなく、他のことは考えず、目の前の食事だけに集中して頂く

   4. おいしいか、まずいかというグルメのためでなく、この命を支えるために

     食べる。

   5. 自分が成し遂げたい目的のために、この食事をいただく

 

 

 

「目の前の食事だけに集中して頂く」

できてないですね

テレビみたり、スマホみるときもあるし、電話がなると食事より電話が気になるし・・・反省です

 

 

西洋料理 スペイン・ポルトガル

以前、行ったことのあるフランス・ドイツ・イタリア料理は書きましたので、

行ったことのない国の料理について、書いてみようと思います。

 

スペイン料理

 以前、東京でスペイン料理のレストラン「小笠原伯爵亭」で食事をしたことがありますが、スペイン料理について、なにも知らないで食べました。

 古来、他民族との接触のあったスペインの料理には、変化に富んだ気候風土もあって地方色が色濃く現れています。

農産国であるが畜産、水産も盛んで、多種多様な食材が用いられています。

米料理にはパスタが、デザートにはチーズが含まれます。

各地に名物料理があり、中央部のカスティーリャ地方の子豚の丸焼き、南部アンダルシア地方の飲むサラダともいわれる冷たいスープのガスパチョ、米の産地であるバレンシア地方のパエリャなど多彩である。

北部や南部の海岸に位置する地方では、魚介料理があり、北東部のバスク地方では、干したたらの料理が名物である。

スペイン料理に共通する点としては、オリーブオイル・にんにく・豆・ピーマン・サフラン・ハム・ソーセージなどの豚肉加工品が多く使われています。

一例としては、各種肉類や豚肉加工品、野菜を大鍋で煮込んだコシードがあります。

また、食前酒としてシェリーは,スペイン産の白ワインをベースとしたワインで独特の香りがあります。

尚、国土が広いため、北部と南部では味覚が異なります。

北部は香辛料をきかせた料理が多く、南部は比較的あっさりした料理が多いです。

 

スペイン料理の献立

 ① 前菜  軽いものからボリュームのあるものまで色々あります。

       軽いつまみのようなものはタパスという

 

 ② スープ料理

 

 ③ 卵料理

 

 ④ 野菜料理 サラダなど

 

 ⑤ 魚料理  素材も調理法もバラエティー豊かである

 

 ⑥ 肉料理

 

 ⑦ 米料理  パスタ料理も含まれます

 

 ⑧ 甘味  デザートのことだがチーズもここに含まれる

 

 

ポルトガル料理

 土着的な簡素な料理が多い。

大西洋、地中海でとれる魚介類料理が主でオリーブオイルで揚げたり、焼いたりしたシンプルな料理が多い。

野菜では、トマト、タマネギ、ジャガイモ、チリメンキャベツを豊富に使用します。

一般的にはオリーブオイルや香辛料の使用が多いです。

代表的な料理ではカルド・ベルデ(グリーンスープ)、アソルダ(辛口のごった煮スープ)ボリ二ョス・デ・バカリャウ(たらのだんごのオイル焼き)などがあります。

また、ポートワインは(ポルト酒)は世界的な銘酒です。

 

 * ポルトガル料理は、食べたことがないので、食べてみたいです。

 

浅見光彦シリーズ 化生の海

北海道・余市に住んでいた被害者が、松前に行くと、家族に伝えたにも関わらず、石川県の加賀市で遺体となって発見されたから、5年が過ぎたが、事件は未解決のままであった。浅見光彦が事件を解決するために立ち上がったのが、この本である。

 

この本の中で、重要なのが、「北前船」である。

北前船は、江戸時代中期(18世紀)~明治時代(30年代)にかけて、日本海海岸で活躍した。大阪と北海道を結んだ経済動脈である。

主に、買積みの北国廻船の名称である。

買積み廻船とは、商品を預かって運送するのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで、利益を上げる廻船のことを指す。

当初は、近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行なうようになる。

北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海から大阪へ向かっていた。

主な寄港地

  北海道  小樽・余市

  山形県  酒田

  石川県  橋立

  山口県  下関

  瀬戸内海を航行して、大阪へ

 

被害者が、石川県加賀市で遺体が発見されたので、浅見が加賀市に行き、事件の全貌がわかるのである。

 

石川県 加賀市橋立

 北前船で巨万の財を築いた船主が多く「日本一の富豪村」といわれのが、橋立と、

 瀬越の2つの集落です。

 近くの山中温泉には北前船の船乗衆も湯治に訪れ、彼らが航海中に覚えた民謡

 「松前追分」を湯の中で歌うのを聞いた浴衣娘(ユカタベ)が真似たのが

 山中節の起源だという節もある。

 廻船問屋の屋敷が「北前船の里資料館」として公開されている。

 

福岡県 津屋崎千軒

 江戸時代から海上交易と塩田で栄え、家が千軒もひしめくように建っていたことから

 「津屋崎千軒」と呼ばれていた。昔の面影を残した趣のある町並みが魅力である。

  この地で、被害者が幼い頃より持っていた「卯の字の人形」の新たな情報を得て

  九州へ人形の制作者を尋ねることにより、だれから、人形をもらったのかがわかっ

  たのである。

 

山口県 下関市彦島

 被害者が、中学生の頃に、作文を書いて、入賞した、その作文の中で、誰かにおんぶ

 されて、長い石段をみた記憶があると書いてあり、その石段が下関市彦島・福浦町

 の「金比羅神社」であることがわかった。この石段は271の階段である。

 ここで、北前船の船主がわかり、再度加賀市に行くのである。

 

石川県 山中温泉

 ここで、被害者の母が、隠遁生活をしていることを突き止めることが、できて、

 なぜ、殺されねばならなかったのかがわかるのである。

 

被害者は、娘の大学入学の資金を求めて、幼い頃に捨てられた母を尋ねて行ったのであるが、諸々の事情により、彼が来ることをよしとしない人たちにより、殺されたのである。

 

 

 

ドイツ料理

ドイツは、ライン川沿いの低地を除いて山岳地帯が多く、年間平均気温が8~10度と低いため、気候、風土に合ったジャガイモやライ麦が古くから栽培され、主食として食べられてきました。

また、畜産物は豚が主で、厳しい冬に備えてこの豚肉を保存するためにソーセージやハムの加工技術が発達し、あらゆる部位を使ったものが作られています。

このほか、野菜の保存食としてはザウアークラウトがよく知られています。

ドイツ料理は、これらの保存食品を巧みに使ったものが多いです。

ドイツ料理は質実な国民性を反映して、実質的、合理的な性格を持ちます。

肉料理は煮込みが多く、食酢に漬けた牛肉を焼いてから煮込むザウアーブラーテンなどが有名です。

これにジャガイモのだんごのクネーデルやパンケーキが添えられて、ボリューム満点の食事になります。

じゃがいもはそのほかにも、ゆでたり、ピューレにしたり、様々な料理の付け合わせとなり、毎日の食事に欠かせません。

豚肉が好んで食べられるのも特色のひとつで、ローストや煮込みなどにするほか、ハム、ソーセージといった豚肉加工品もすぐれています。

豚肉と一緒に煮込んだり、付け合わせとされたりするザウアークラウトは、キャベツを塩漬けにして発酵させた保存食です。

その他の肉料理では、ドイツ最大の港町であるハンブルグにちなんでその名が付けられたといわれるハンバーグステーキなども好んでたべられています。

ドイツといえばビールがよく飲まれ、ビアホールのにぎわいは有名であります。

 

ドイツワイン

 ライン川及びその支流のモーゼル川流域が、良質の白ワインの産地として知られています。ドイツには現在13のワインの生産地域があり、優良酒も多く輸出量も多いです。

ラインのワインは繊細で軽やかとされる。前者は茶色、後者は緑色の細長い瓶に詰められる。ブドウはリースリング種が主で高級ワインは主にこれから作られます。

ドイツに行った時、ドイツと言えばビールなのに、ドイツワインを飲んで美味しいと感じたのを思い出しました。

ビールを飲んだ記憶はありません。

 

南ドイツに行った時は、クリスマスマーケットで街中がとてもかわいらしい感じでした。ノイシュバンシュタイン城は有名ですが、日本でみる写真の方が素敵だと思いましたね。アングルでより素敵に見えるように写しているんだと思います。実際はそんなに素敵ではなかったです。お城の内部もベルサイユ宮殿の鏡の間の方が圧倒されました!